〝政界の壊し屋〟小沢一郎氏がまとまれない野党に喝「チマチマしたことで満足しちゃうようでは…」

〝政界の壊し屋〟の異名を持つ立憲民主党の小沢一郎氏 政治・経済

〝政界の壊し屋〟小沢一郎氏がまとまれない野党に喝「チマチマしたことで満足しちゃうようでは…」(東スポWEB 2025年10月14日 18:57)

〝政界の壊し屋〟の異名を持つ立憲民主党の小沢一郎氏(83)が14日、自身のX(旧ツイッター)を更新。連続ポストで野党に喝を入れた。

小沢氏は公明党が連立を解消したのは当然と主張。「最大の原因は自民党にはとても付いていけないということ。特に高市新総裁の自民党の思想や体質に対する拒否感が大きい。また、この時期に、そういうリーダーを選択した自民党の政権担当能力の著しい低下の問題もある」と古巣でもある自民党の劣化を指摘した。

仮に少数与党の自民党・高市早苗総裁が首相に選出されたとしても現在の政治的混乱は収まらず、国民にとってマイナスが続くと小沢氏は予見した。野党がまとまれば政権交代は可能な状況だが、国民民主党の玉木代表は基本政策の一致を求めており、立憲との間には安保関連法や原発の利活用をめぐって大きな溝があると見られている。

それでも小沢氏は「野党も、大局的な視野に立って行動しなければならない。個別の政策協議だか何だか知らないが、この政策を勝ち取ったとか、そんなチマチマしたことで満足しちゃうようでは正に『木を見て森を見ず』。思い切った大胆な政治なんてできっこないし、今の利権構造も断ち切れない」とまとまれない野党を喝破した。

1969年、27歳の若さで初当選した小沢氏は故田中角栄氏の薫陶を受け自治大臣(中曽根内角)、内角官房副長官(竹下内閣)を89~91年まで自民党幹事長を務めた。93年に離党して新生党を立ち上げると、8党連立(日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合)の細川内閣に貢献。99年には自由党党首として自自公連立に尽力し、のちの自公連立の礎を作ったほか、2009年8月の衆院選で民主党を引っ張り、自民党を2回下野させた〝政界の壊し屋〟として知られる。

一連のポストの中には「もうかなり長いこと、心ある野党勢力が結集・共闘・協力して、自民党の腐敗した権力構造を変えなければならないと主張してきた。しかし、野党各党は、あっちが悪い、そっちが悪いで、いつまで経っても大局的な視野に立った考え方、行動ができないでいる。これが悲しむべき日本政治の現実」と悲観的な内容もあったが、「何より野党は、前述したように、自民党が全く腐敗して政権担当能力を失った今日、目を覚まして、ここでどうしようもない自民党政権を変える、それが国民のため、国民の生活と国家を守るためだ、という観点で大同団結をするような発想に立たなければ、いつまで経っても国民の支持は得られない」と気炎を上げた。

最後は「何としても、この政治的混迷を打開すべく、『国民の生活が第一』という原点に立ち返り、全力を尽くして参りたい」と結んだ小沢氏。

当選19回の剛腕がどう立ちまわるのか注目だ。

東スポWEB