国民から貯蓄を強制的に吸い上げても全然足りない
南海トラフ地震と首都直下地震の被害額は2411兆円…その後の日本で起きる恐るべき”最悪シナリオ”(PRESIDEN WOMAN 2025.03.10)
養老 孟司 解剖学者、東京大学名誉教授
デービッド・アトキンソン 小西美術工藝社社長
南海トラフ地震は2030年代に起こる可能性が指摘されているが、もし首都直下地震と連続して起こった場合、歴史の転換点を迎える可能性は十分にあるという。東京大学名誉教授・養老孟司氏と小西美術工藝社社長として行政に対する改革提言を積極的に行うデービッド・アトキンソン氏が語り合った。
※本稿は、養老孟司『日本が心配』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
日本のGDPの4倍が消し飛ぶ被害額が想定されている
【養老】社会保障費などが膨れ上がり財政が圧迫される状況が続いています。経済が疲弊した中で南海トラフや首都直下地震が発生した後、日本が自力で復興するのは難しそうですね。私は、地震が起きる以上にそちらのほうを心配しています。
【アトキンソン】おっしゃる通り。地震の被害は、発生直後だけではなく、国やその地域に10年単位の長期的な経済的損失が発生することを考慮する必要があります。
公益社団法人土木学会が2018年に南海トラフと首都直下地震の被害額を試算しています。それによると、南海トラフでは被害額が1410兆円に達するとされています(今後見直しがなされる予定あり)。また首都直下地震については、2024年3月に6年前の推計を見直した数字が発表されており、223兆円増えて1001兆円に上るといいます。
【アトキンソン】この被害額の試算は驚くべき数字です。2023年の日本の名目GDPは597兆円ですから、もし南海トラフと首都直下地震が連続して発生した場合、日本全体で稼ぐお金の四倍が消し飛んでしまう計算になります。
でも、こんなものじゃあないみたいです。以前、土木学会・地震工学委員会委員長を務めた目黒公郎さん(東京大学大学院教授)に聞いたお話では、すべての長期的経済損失をカバーしているわけではないので、現実にはもっと大きな数字が出る可能性もあるそうです。日本という国家の存続に関わる、大変な危機ですよ。
【養老】損失がそこまで巨額になってしまうことについて、目黒先生の見解は?
【アトキンソン】一言で言うと、「集積」です。日本の首都圏のような災害リスクの高い地域に、富も機能も人口も何もかもが集積した巨大都市をつくったケースは、人類の歴史上、ほかに例がないそうです。「首都一極集中」ですよね。
過去には地震の上に噴火や台風の被害も
【養老】そのうえ、「複合災害」のリスクもあります。
【アトキンソン】そう、目黒教授も本州から四国の南に位置する南海トラフ沿いには、東海・東南海・南海の三つのエリアがあって、ここで100~150年周期で巨大地震が起こっていると指摘しています。
しかも一発の巨大地震のこともあれば、連続して発生したり、富士山噴火のような火山被害をともなったり、あるいは台風が襲来したり。過去にもそういう複合被害を引き起こした歴史的事実がありますよね?
【養老】そうですね。たとえば1707年10月28日、宝永地震が発生しましたが、これは東海・東南海地震が同時発生した可能性があります。50日後に富士山が噴火しています。これが宝永大噴火。この4年前には、相模トラフのプレート間巨大地震である元禄地震が起きています。
また、宝永地震から147年経った1854年12月には、23日に安政の東海地震、翌24日に安政南海地震が連続して発生しました。このときは激しい揺れと、九州東部から静岡にかけての太平洋沿岸に巨大津波が押し寄せ、壊滅的な被害を受けました。3万人の人が亡くなったと伝えられています。
さらにこの惨状に追い打ちをかけるように、翌1855年に江戸は首都直下地震に見舞われました。世に言う安政の江戸地震です。1万人前後の人が亡くなり、幕府の施設や大名の江戸屋敷なども壊滅的な被害を受けています。
【アトキンソン】安政のこの数年は凄まじかったですね。次の年、1856年には「安政の江戸暴風雨」と呼ばれる大きな台風が江戸湾を襲って、まさにとどめをさされた感じでした。幕府は国を運営するどころではなかったでしょう。財政が急速に悪化したことは、少し考えれば誰にでもわかることです。
歴史の転換期に天変地異あり
【養老】アトキンソンさんは『国運の分岐点』のなかで、「二百六十年余り続いた江戸幕府があっけなく倒れた大きな要因は、討幕運動やペリー来航に加え、自然災害が幕府の体力を奪ったこと」という説を紹介されています。私もまったく同感です。
【アトキンソン】南海トラフの復興にお金がかかるのは当然として、幕府はその前に江戸を立て直さなくてはいけなかった。諸藩の復興を援助するより、むしろ諸藩に「将軍さまのいる江戸を守るために、支援をしてくれ」と求めたのではないでしょうか。
そりゃあ、南海トラフの被災地は不満ですよ。自分たちのことで手一杯なのに、なぜ? って。幕府への不信感を募らせて、それが討幕運動へと発展したことは容易に想像できます。一連の「複合災害」から11年後ですからね、江戸幕府が大政奉還をしたのは。
【養老】さらに歴史を遡れば、平安時代に貴族政治が終わりを告げ、平家による武家政治へと一大転換がはかられましたが、それも1185年に京都で発生した元暦の大地震(文治地震)がきっかけでしたよね。「余震が2カ月も続いた」と、鴨長明が『方丈記』に記しています。
もっとも京都は、その4年前に旱魃かんばつによる養和の大飢饉ききんが発生しています。その影響も大きいですね。食料を奪おうとする賊徒ばくとが跳梁跋扈するなど、都は荒れ放題でした。当然、都と貴族を警護してもらう必要が生じます。それも武士が台頭した背景の一つでしょう。
【アトキンソン】まさに歴史の転換期に天変地異あり、といったところでしょうか。世界に目を転じても、隆盛を極めた国が巨大地震や津波、洪水、火山の噴火などの自然災害によって衰退していった例はいくらでもあります。
復興資金が払えない場合の最悪シナリオ
【養老】そうした歴史に鑑かんがみても、日本が南海トラフ、あるいはそれに前後して発生するかもしれない首都直下、富士山噴火、台風などの「複合災害」を経て、大転換期を迎える可能性は十分に考えられますね。アトキンソンさんが描く「最悪のシナリオ」は……?
【アトキンソン】日本が中国に買われることは十分にありうる、ということです。
【養老】復興に必要なお金は誰が払うんですか、ということですね。
【アトキンソン】南海トラフ地震と首都直下地震が同じタイミングで襲来すれば、東京も大阪も名古屋も、大都市が全部、同じタイミングでダメになってしまうので、国中がもうカオス状態になるのは間違いない。
日本経済って、悪い、悪いと言っても、まだ世界四位の大国です。そのメッカと言いますか、富が集中する経済圏が打撃を受けるのですから、被害総額は甚大。土木学会の試算を見てもわかるように、復興にはとんでもない金額が必要になります。
いまでさえ経済が成長せずに、これからも厳しくなることが予測されます。そんななか、“自前”で復興予算を組むなんて、なおさら難しくなっていきますよね。
――人口減少も高齢化も進む一方、国の借金だってどんどん膨らんでいく。ということは逆に言えば、巨大地震はむしろ早い時期に発生したほうがマシ、とも言えますか?
すでに銀座や京都の土地を買い漁る中国資本
【アトキンソン】まあ、そうですが、いまの経済状況でも厳しいのは変わりません。
仮に日本が復興にお金を払うとしたら、株価が暴落するなかで、唯一の頼みは国債ですよね。でもすでに普通国債残高は累積し続けていて、2024年度末には1105兆円に上ると見込まれています。経済の規模に比べて、既に世界最悪の財政です。
戦後行われたように、国債という借金を棒引きにしてもらったうえで、さらに国民の貯金を強制的に吸い上げるしかありません。それは復興予算を絞り出すための一つのシナリオで、できないこともない。仮にそこまでやったとしても、全然足りないでしょうね。
ましてや台湾のように、「みなさんからの募金で賄います」なんて規模ではない。そう簡単には国内調達できない、ということです。だから、諸外国から調達するしかないんです。
では、どこに頼る? 世界一、二の経済大国であるアメリカと中国に頼るしかありません。アメリカは多少出してくれるでしょうけど、よその国のことにあまりお金を出さない国なので、期待薄です。残るは中国。日本を買いに来るでしょうね。
すでにいまだって、銀座の土地を買い漁ったり、京都の町家が並ぶ一角を買い占めて再開発したりしているでしょう? そんな現在の中国資本の勢いを踏まえれば、日本が中国に買われることは十分にありうると思いますね。
【養老】中国が無償で支援してくれるわけはないし、かなり厳しい条件をつけてくるでしょうね。日本経済にそれを突っぱねる元気もなさそうです。
巨大地震をきっかけに自立性を失う日本
【アトキンソン】そうして日本中に中国マネーが投下されると、中国人資本家たちは日本社会における存在感を増しますし、発言力も強くなります。しょうがなく言いなりになって、何年かやり過ごしてごらんなさい。「気がついたときには中国の属国になっていた」となりかねない。それが、私の描く最悪のシナリオです。日本人はそんなこと、考えたくないでしょうけど、「100%ない」とも言い切れません。
【養老】日本人は、嫌なことを考えないんですよ。戦争のときもそうだったでしょ。「神風が国の危機を救ってくれる」と信じていた。本気で信じていたんですよ。
【アトキンソン】現実問題、アフリカのように、中国による“植民地化”が進んでいる地域があります。南アフリカ共和国やセネガル、ルワンダなど、中国は債務超過が深刻化している国に、巨額投資を続けているのです。
一見すると支援のようですが、実質的には植民地化ですよね。中国企業がこれらの国の根幹に関わるビジネスに参入して、中国依存が進むように仕掛けて、じわじわと骨抜きにしているんです。日本も他人事ではありません。
中国の影響を排除したいのであれば、IMFから調達するということになるかもしれませんが、そうすると日本経済がIMFの管理下に置かれることになります。いずれにしても日本が自立性を失うことには変わりありません。
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養老 孟司(ようろう・たけし) 解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)など多数。
デービッド・アトキンソン(David Atkinson) 小西美術工藝社社長
1965年イギリス生まれ。日本在住31年。オックスフォード大学「日本学」専攻。裏千家茶名「宗真」拝受。92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。2011年より現職。著書に『日本企業の勝算』『新・所得倍増論』など多数。