「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」(Kodansha Bluebacks 2024.12.04)
佐藤勝彦
宇宙はどのように始まったのか……
これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。
そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。
*本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
宇宙は人類のために絶妙にデザインされている?
本連載の締めくくりに、宇宙を考えるうえで避けて通れない「人間原理(Anthropic Principle)」の話をしていきましょう。
現在の宇宙の法則の中には、さまざまな物理定数があります。たとえば強い力、電磁気力、重力などの力の強さもそうです。つまり具体的に決まっている数値のことですね。これらの定数をよく見ると、まるで人類が誕生するように値が調節されているとしか思えないものがあるのです。たとえば、電磁気力の強さを少しでも変えると、生命は生まれなくなってしまいます。強い力の値をちょっと弱くすると、星の中で元素を合成するトリプルアルファ反応というものが起こらなくなります。これは3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12ができる核融合反応ですが、この反応が起きないと、炭素や酸素といった生命に不可欠な元素が生成されなくなるのです。
これらの例に限らず、われわれが住む宇宙は、人類を含めた生命をつくるために絶妙にデザインされているように見えるのです。これは否定しようのない観測事実です。
このような話を聞くと、「ああ、やはり神様は人間を創造するようにこの世界を設計されたんだなあ」と思う人もあるかもしれません。しかし、科学者がそのように考えるわけにはいきませんから、このような物理定数のナゾをどう解決するかが重要な問題になります。人間原理も、この問題への答えとして考えられてきたものなのです。
これまで人間原理については、いろいろな研究者が自分の見解を述べていて、量子脳理論のアイデアでも知られるロジャー・ペンローズはこう言っています。
「神様がわれわれの住んでいる宇宙と同じような宇宙を創り出すためには、途方もなく小さな空間の中の小さな定数が必要である」
つまり、適当に物理定数を決めても、決していまの宇宙はできない。神様はよほど注意深くならなければならない、というのです。そして、どこから出てきた数字かわかりませんが、われわれの住む宇宙がつくれる確率は、10の10の123乗分の1だと、すこぶる具体的な数値を示しています。
この数字はおそらくジョークだとは思いますが、それくらいとてつもない精度で選択をしていかなければ、いまのような宇宙はできっこないというわけです。そして、なぜいまの宇宙がそうなっているかという問題は、人間原理でしか説明できないというのです。
宇宙の法則が少し違ったら人類はどうなっていた?
アメリカの理論物理学者テグマークが、電磁気力や、強い力が、われわれの宇宙とは違う多様な値をとった場合を考えたグラフがあります(図「テグマークのグラフ」)。
難しい言葉もありますが、要するにこれによると、2つの力の値が変わると炭素原子が不安定になったり、水素原子が生まれなかったり、重水素が不安定であったりなど、多様な不都合が生じます。その結果、知的生命体が誕生するのに都合のいい領域はごくわずかしか残りません。四つの力のうち、二つの力だけで考えても、これほどまで制限されるのです。
テグマークはまた、空間の次元や時間の次元を変えるという考え方でも生命体存在の可能性を考えています。
時間がわれわれの世界と同じ1次元の場合は、空間が1次元や2次元だと単純すぎて多様な構造が生まれず、一方で空間が4次元にまでなると不安定になるとしています。たとえば原子核のまわりを回っている電子も、次元の大きな世界では不安定になって原子核に落ち込んでしまうようになります。これでは多様な構造を安定してつくることはできません。結局は、3次元が多様な構造をつくるのには適しているというのです。
時間の次元が多い宇宙については、4次元以上だと不安定な宇宙になるのだそうです。しかし、時間の次元が増えるというのはどういうことか私にはわかりません。それこそ腕時計が二つ必要になる世界でしょうか? 冗談はさておき、時間の次元がゼロの場合は、彼も想像不可能としています。
テグマークの主張はともかく、私たち人類はよほどの条件が整わなければこの宇宙に存在できないことは確かなのです。
人間は「選ばれし存在」か?
およそ50年前、プリンストン大学の物理学者ロバート・ディッケは、もし宇宙が現在のようにきわめて平坦でなければ、人間は存在していない、だから人間は選ばれた存在であると言いました。
もし、宇宙を創ったときに、神様がいまよりも弱い勢いで膨張させたとすると、膨張はすぐに止まってしまい、1000万年後あるいは1億年後に膨張は止まって、つぶれてしまう宇宙になります。そういう宇宙では十分に生命は進化できず、人類は生まれないことになってしまいます。
一方、神様が宇宙を膨張させる力が強すぎた場合は、膨張する速度が速すぎて、ガスが十分に固まる前に宇宙が膨張してしまいますから、ガスが固まれません。つまり、星もできません。ですから炭素も酸素もつくられず、生命も人類も生まれてきません。
このように考えると、神様はきわめて慎重に、曲率がゼロになるように宇宙を創造したということになりますが、それは非常に困難なことです。これが「平坦性問題」です。この問題を説明するためにディッケは、人類は曲率がゼロに近いきわめて平坦な宇宙にだけ住むことができる。だからこの宇宙は平坦な宇宙なのだ、と言ったのです。
この平坦性問題は、インフレーション理論によって解決したことも前にお話ししました。ごく簡単に言えば、神様の力を借りなくても、インフレーションさえ起こせば、曲率ゼロの宇宙を創ることができるからです。インフレーションによって一様で平坦な宇宙ができるため、平坦性問題は人間原理を使わなくても、物理学で説明できるようになったのです。
「人間原理」という言葉を最初に使ったのは、ブランドン・カーターです。
読者のみなさんはコペルニクスをご存じでしょう。地球は宇宙の中心にあるのではなく、太陽のまわりを回っているという地動説を考えた人です。このコペルニクスの考え方を太陽系だけに限らず、あらゆる一般的なことに敷衍したものをコペルニクスの原理と言います。人類は世界の中心にいるわけではなく、宇宙においては人類といえどもワンオブゼムの存在であるという考え方です。
カーターは、このコペルニクスの原理に対する逆の考え方として、人間原理という言葉を使ったようです。宇宙は人間を生むようにつくられていると見ることができるとして、人間を特別な存在として考えるべきであるというのです。
強い人間原理、弱い人間原理
やがて人間原理は、「弱い人間原理」と、「強い人間原理」に分かれます。
弱い人間原理とは、いまあるこの宇宙のあり方を決める数値(宇宙の初期条件など)は、なぜ人間が存在するのに都合よく定められているのかを問うものです。そのよい例はディッケの平坦性問題で、人間が宇宙に存在することから、宇宙は平坦になるよう微調整されたとする考え方です。ただし、やはり平坦性問題のように、インフレーション理論を使えば物理法則だけで説明できるものもあります。
これに対し、強い人間原理は、物理学の基本法則・物理定数や、宇宙や空間の次元などは、人間が存在できるようにつくられているというものです。2次元でも4次元でもだめで、3次元でなければならないとテグマークが言うのも、この強い人間原理です。
こうした人間原理が出てくるのは、ある意味で当然のことだと私は思います。なぜなら、いま私たちは物理法則を持っていて、その法則には多様なパラメーター、つまり数値がのぼっていますが、それらがどうしてそんな数値になっているのか、私たちは知らないからです。たとえば電気の力を表す微細構造定数という値は、137.035…分の1という数値になっていますが、なぜ、これが電気の強さになるのかもわかっていないのです。そうである以上、その値が人間が存在できるように決められたという考え方が出てきてもしかたないのです。
将来もしも、超ひも理論がめざす究極の物理法則、この方程式ひとつを解きさえすれば四つの力すべてがわかるという超大統一理論ができたとき、その方程式の中に何ひとつ数字(定数)がなく、すべては幾何学の問題だけに帰して、それだけで自動的に現在ある多様なパラメーターの数値がすべて導き出せるといったことになれば、人間原理など必要ありません。その理論さえあれば、この世界がつくれることになるからです。
しかし、かりに何らかの数字がまだ残っていたとしたら、そのときは問題です。その数値はなぜそうなるのか、説明がつかないからです。そのときは、人間原理のようなものを考えなくてはならないかもしれません。
今後の研究によって、そこがどうなるのかはわかりません。ただ、私は物理学者として、究極の物理法則となる超大統一理論には、そういうパラメーターがいっさい残っていないことが理想だと思っています。
マルチバースと人間原理
読者のみなさんは、これまでの話をどう思われたでしょうか。「宇宙は人間が生まれるようにつくられている」と主張するかのような考え方など、科学にはほど遠いと思われたのではないでしょうか。たしかに人間原理を疑似科学や宗教的なものと見なしている人もいるようです。しかし、実はホーキングも弱い人間原理を支持しているなど、科学者の間でも人間原理への評価はさまざまに分かれているのです。
私自身はといえば、さきほども述べたように、物理学の法則だけでこの世界のことをすべて説明できれば理想的だと考えています。人間原理という概念を物理学は安易にうけいれるべきではないというのが基本的な立場です。ただ、最近の人間原理の考え方には、科学的に認められるものが生まれてきているとも考えています。
それは、マルチバースの考え方に立った人間原理です。インフレーション理論が予言するように、宇宙が子宇宙、孫宇宙…と無数に生まれているならば、それぞれの宇宙が持つ物理法則もまた無数に存在するはずです。それらの中には、人間が生存するのにちょうどよい物理法則があっても不思議ではありません。そして、私たちの宇宙がたまたま、そういう物理法則を持つ宇宙だったのだ、とする考え方です。
これにはみなさんも納得できるのではないでしょうか。この宇宙を認識する主体である私たち人間は、ほかの宇宙を認識することはできません。だから、たった一つの宇宙がたまたま人間に都合のいいよう絶妙にデザインされていることを不思議に感じますが、実はそれは、無数にある宇宙の中で私たちの宇宙がたまたま、人間が生まれるのに都合のいい宇宙だったにすぎないというわけです。そのような宇宙だからこそ生まれた人間が、この宇宙の物理法則について認識していくと、それは人間が生まれるように都合よくできていた、これは言ってみれば当たり前のことです。そして、そのような私たちの宇宙が、たとえペンローズが言ったように10の10の123乗分の1というわずかな確率でしかつくられないとしても、宇宙が無数にあるのなら、そのうちの一つが私たちの宇宙であっても何も不思議ではありません。
このように、インフレーション理論が予言するマルチバースという宇宙像を前提にすると、人間原理についても論理的な説明が可能になってくるのです。
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さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。