社説〉集団的自衛権10年 戦争への道、進んでないか(信濃毎日新聞 2024/07/03 09:31)
安倍晋三政権が2014年7月に憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してから、1日で10年となった。
他国への攻撃を自国への攻撃とみなし、武力行使できるとするものだ。歴代内閣は憲法9条が許容する「専守防衛」の枠を超えるとして、行使を認めないという解釈を続けてきた。
安倍政権は自民、公明両党による1カ月余の協議だけで、長年の国会論議を通じて積み上げてきた政府の憲法解釈を捨て去った。抑制的な姿勢を取ってきた戦後日本の防衛政策の大転換だった。
安倍氏は記者会見で抑止力の向上を強調し、「戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張った。実際はどうか。この閣議決定から、日本は安倍氏の言葉と正反対の道を突き進み始めたとしか思えない。
安倍政権は閣議決定を基に、15年に安全保障関連法を成立させ、自衛隊の任務を大幅に拡大。地理的な制約をなくし、後方支援では地球規模で他国軍との行動が可能になった。自衛隊が平時から米軍などの艦艇や航空機を守る「武器等防護」は日常化。自衛隊と米軍の一体化は深まる一方だ。
岸田文雄政権は防衛政策の転換をさらに推し進め、22年には米国に依存してきた敵基地攻撃能力の保有を容認し、防衛費を倍増させる方針を決定。米国製巡航ミサイルの導入も決め、殺傷兵器の輸出解禁にも踏み出した。
岸田首相は4月の訪米で、自衛隊と在日米軍の指揮・統制枠組みの見直しに合意。日米部隊の一体化が進み、新たな段階に入る。日本の指揮権独立さえ危うくなる懸念が拭えない。
際限のない日米の軍事一体化と防衛力強化の背景には、包囲網で中国や北朝鮮に自制を促す狙いがある。問題は軍備の増強を進めるだけで、互いの不信を拭う外交努力を怠ってきたことだ。
防衛費増額や敵基地攻撃能力の保有は挑発と受け取られて反発を招き、緊張が高まる。北朝鮮とは拉致問題や非核化などの懸案を解決する糸口すらつかめない。
ロシアによるウクライナ侵攻が長期化するなど、国際社会の不安定さは増すばかりだ。東アジアや世界の安定に向けた出口は見えず、日本の「平和国家」の看板は色あせたままである。
この道はどこにつながるのか。日本が10年前に踏み出した一歩が正しい選択だったとは思えない。後戻りができなくなる前に憲法の精神に立ち返らねばならない。