プーチン大統領が激白…尊敬する「ピョートル大帝」への思い 自らを重ね合わせた発言

自らをピョートル大帝になぞらえるプーチン氏 国際

【解説】 自らをピョートル大帝になぞらえるプーチン氏、その思惑は?(サラ・レインズフォード東欧特派員 BBC NEWS 2022年6月11日)

ロシアのウラジミール・プーチン大統領が、ピョートル1世(ピョートル大帝)を崇敬していることはよく知られている。しかしプーチン氏は今、その「偉大さ」を自分自身にも見出しているようだ。

公然と自分を皇帝ピョートル1世になぞらえ、現在のウクライナ侵攻を約300年前の膨張主義と同一視し、この戦争は領土収奪のためのものだと、これまでで最もはっきり認めた。

ピョートル1世は17世紀末~18世紀のロシア皇帝で、ロシア近代化のほかに大国化を推進。大北方戦争でスウェーデンと長年にわたり領土戦争を繰り広げた。

ピョートル1世はロシア帝国の拡大と近代化を進めた

帝国づくりを目指すプーチン氏のあからさまな野望は、ウクライナには凶報だし、他の近隣諸国にとっても不穏だ。エストニアは、プーチン氏の発言を「全く受け入れられない」と述べている。

プーチン大統領がピョートル大帝に言及したのは、若い起業家や科学者との集まりだった。大統領はこの場でITやテクノロジーの発展について言及する前に、政治と権力について、地政学的な支配をめぐる新たな戦いについて語った。そしてその中で、ピョートル大帝がロールモデル(模範)だと述べたのだった。

プーチン氏は18世紀の大北方戦争を取り上げ、「皆さんは、ピョートル大帝はスウェーデンと戦い、土地を奪ったのだと考えているかもしれない」と語った。

だが、その地域には何世紀にもわたってスラヴ系民族が住んでいたと主張し、「大帝は何も奪っていない。奪い返したのだ!」と続けた。

その上で、「今の私たちにも、奪い返して強化する責任がある」と述べ、笑った。にやりと笑ったと言ってもいいような表情だった。現在のウクライナ情勢と、ウクライナでの目標に言及した発言だというのは、疑いようもなかった。

ロシアは拡大することで強くなったと、ピョートル大帝の治世は証明している。プーチン氏はそう示唆したのだ。

プーチン氏は最近、ロシアの過去を引き合いに出すことが多いが、それは常に、自分が掲げる今の大義に見合うよう、内容を慎重に取捨選択したものになっている。大統領はウクライナ侵攻の数カ月前には長大な文章を書き上げたが、その主な内容は、ウクライナには歴史的に存在する権利などないのだという論考だった。

2月24日に隣国への侵攻を開始した当初、プーチン氏はこれは「特別作戦」だと虚偽の主張をした。ウクライナを「脱ナチス化」させ、ロシアへの脅威を減らすため、ドンバス東部に限定した作戦なのだと。

しかし、大統領がそう口にしている間にも、ロシア軍はウクライナの首都キーウへ進み、さらに西の土地を爆撃していた。それから100日後には、ウクライナの領土の5分の1がロシア軍の占領下に入り、各地で傀儡当局がロシアへの編入を求める住民投票を呼び掛けている。

そしてプーチン氏は今や、「作戦」は実は占領なのだと認められるほど大胆になっている。

さらには、ロシア軍がウクライナで作り出そうと戦っている現実を、西側諸国が最終的には受け入れるはずだと信じている様子だ。

プーチン氏は、ピョートル大帝がサンクトペテルブルクにロシアの新しい首都を置いた時、その領有権を認めた国は「欧州にひとつもなかった」と指摘した。だが今は、誰もがサンクトペテルブルクをロシアだと認めている。

ピョートル大帝の夏の宮殿(サンクトペテルブルク)

プーチン氏の発言にはバルト諸国もざわついた。エストニアの外務省はロシア大使を呼び出し、プーチン氏がピョートル大帝のナルヴァ(エストニアの都市)侵攻を「ロシアによる領土の奪還と強化」と述べたことに抗議した。

プーチン氏はしばしば、自分に都合良く歴史に言及する。

ピョートル大帝は非情な専制君主だったが、同時に西側諸国の考え方や科学、文化を敬愛していた。ヨーロッパを眺めるための「窓」としてサンクトペテルブルクを作ったのは有名で、ロシア近代化のための知識を希求して、欧州大陸各地を旅し続けた。

しかし、ロシアから欧州を眺めるための「窓」を、徐々に閉ざしたのは、抑圧の度合いを増し続けるプーチン氏の抑圧的な支配だったし、ウクライナ侵攻でその「窓」はぴしゃりと閉ざされてしまった。

かつてピョートル大帝がそうしたように、プーチン大統領が知識やひらめきを求めてオランダや英グリニッジを訪れるなど、今では到底不可能に思える。

先の会合でプーチン氏が若い起業家たちに18世紀のツァーリ(ロシア皇帝)について講義している間、その背後には「未来」「自信」「勝利」といった文字が次々と映し出された。

ロシアは、西側諸国の非難と制裁を前に、断固として対決姿勢を示している。プーチン氏自身も、苦境に立たされているというよりはむしろ、すっかりリラックスしているように見えた。

しかし、ここにもう一つ、歴史から学ぶべきことがあるかもしれない。

ピョートル大帝は確かに最終的に、バルト地域や黒海につながるアゾフを占領した。しかし、そのための大北方戦争でロシアは21年間、戦い続けたのだ。

(英語記事 Putin positions himself as heir to Peter the Great

プーチン大統領が激白・・・尊敬する「ピョートル大帝」への思い 自らを重ね合わせた発言(2022年6月10日)