原子力規制委員会委員長、更田豊志氏は、今年3月11日、福島第一原子力発電所の事故から10年にあたって、原子力規制庁の職員に対して訓示を行った。
職員訓示「東京電力・福島第一原子力発電所の事故から10年にあたって」(2021年3月11日 原子力規制委員会委員長・更田豊志)より抜粋。
事故の発生から10年が経って、危険な兆候、劣化の兆候が現れていないか、問い直し、考え続ける必要があります。
「規制の虜」に陥ってはならない 事業者の不始末は事業者の責任として突き放す
まず、いわゆる『規制の虜』について。
強調しておきたいのは、規制当局が推進当局から独立したから解消された、その恐れは無くなったと考えてはいけないということです。独立性に優れているとされている規制当局であっても、『規制の虜』への恐れはずっと意識され続けるべきです。
例えば、事業者がトラブルや不始末を起こしたときに、私たちはしばしば、規制にも足らざるところがあったのではないかと考えます。このこと自身は一般に良いことだと受け止められがちですが、私たちは事業者の保護者ではないし、保護者になるべきではありません。
『規制の虜』に陥らないためには、事業者の不始末は事業者の責任として突き放す姿勢が規制当局には必要です。
「世界で最も厳しい水準の基準」という表現に注意
次に、いわゆる世界最高水準、世界で最も厳しい水準の基準という表現について。
既設炉に対する規制要求としては確かに世界的に例のないものになっています。しかし、置かれている自然条件の違いがあり、文化の違い、経験の違いなどハード面だけでなくソフト面にも様々な違いがあるなかで、基準や規制の国際比較は非常に難しいことです。
もとより、継続的な改善を怠ることがあってはならず、「世界で最も厳しい水準の基準をクリア」という台詞が、基準をクリアすれば大丈夫なんだという姿勢を生まないように、新たな安全神話とならないように、私たちは十分に注意をする必要があります。
安全・セキュリティの規制内容は、現場に反映されなければ意味がない
3つ目、セキュリティに関することです。
委員会はIAEAなどの国際機関において行われる核セキュリティ分野の議論に参加し、核セキュリティのあるべき姿、方法論、安全とセキュリティとの干渉など、言わば大所高所の議論に加わってきましたが、それではなぜ、核セキュリティの現場で起きていることに強く関与しようとしなかったのか。
安全についてもセキュリティについても、規制の内容は現場に反映されなければ意味を為しません。委員会は実働部隊とともに働く組織として、細部に、実態に目が届くように努めるべきであることは、安全でもセキュリティでも同じことですし、むしろ核セキュリティにおいてこそより重要なことであったと思います。
予め書かれたガイドやマニュアルの外(想定外)に、シビアアクシデントが発生する
次は、私が原子力規制委員会発足後ずっと心配し続けていることですが、ガイドの整備、マニュアルの整備を進めています、
規範化は、規制側、被規制側の負担を小さくする一方で、欠けをみつけること、想定外に備えることにとって害となる側面があることは意識されてしかるべきです。
東京電力福島第一原子力発電所事故はシビアアクシデントでした。シビアアクシデントは常に想定の外で起こるでしょう。想定の範囲を超えるからこそ大きな事故に至ってしまう。安全を求める戦いは想定外を減らす戦いであって、その戦いには、常に新たに考えることが不可欠です。既に他の人が考えたことのなかに答えを見つけようとする姿勢では、シビアアクシデントを防ぐことは出来ません。
審査は、予め書かれているものとの照らし合わせでは全くダメで、それは責任の放棄に等しいのです。審査も、そして検査も、ときには白紙に戻って考える姿勢が重要です。すべてが予見できるようなものは審査とは呼べません。
審査でも検査でも、私たちの責任の多くは、既に書かれたものに答えを見つけようとすることではなく、自らの知識、経験、理解に基づいて考え、判断することによって果たされると考えるべきなのです。
安全神話を復活させないため、「初心を忘れない」「継続的な改善」
最後に、私はこれまで、初心を忘れてはならないということと、継続的な改善が不可欠だということをしばしば口にしてきました。一方は、決して変えてはならないことについてであり、もう一方は変え続けていかなければならないということです。どちらも安全神話の復活を許さないためには重要なことです。