なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」

どんなに栄えた王国や文明もいつかは衰退する 文化・歴史

なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」(現代新書 2024.05.23)

歴史は経営でできている

なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。

12万部ベストセラーとなっている『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

亡国志:本来の目的を忘れた国は亡びる

どんなに栄えた王国や文明もいつかは衰退する。

日本には本当はあまり咲いていない沙羅双樹の花を探して眺めてみなくとも、歴史の教科書を開けば盛者必衰の理は嫌というほど表れている。

既存の政権や王朝を滅ぼす原因として、異民族の侵略、大災害と飢饉、内乱と革命などが挙げられることが多い。歴史番組や歴史映画はこうした悲劇を取り上げがちだ。睡眠薬の代わりになるような、書きぶりからして眠たげな分厚い歴史書も、こうした場面に入ったとたんに生き生きとした筆致でこちらの目を覚まさせてくる。

しかしこうした言説は原因と結果を取り違えている。異民族が侵略を試みていない時期などないし、災害と飢饉への備えはいつでも必要だし、内乱と革命を虎視眈々と狙う者はいつの時代にも存在するからだ。

たとえば一般には海の民と呼ばれる集団によって滅ぼされたとされる古代エジプト王朝は、実際には滅亡までに何度も海の民を撃退していた。中国の漢王朝も黄巾の乱によって勢力を大きく削られるまで、何度も似たような人民蜂起を鎮めてきた。

政権や王朝は常に危機に対峙しているのである。

危機そのものが政権・王朝を滅ぼすと考えるより、むしろそれらが日常的に直面している危機に対処できないほど落ちぶれたときに、「危機という最後の一押しで滅びる」と考える方が自然だろう。

なぜ政権や王朝は弱体化するのか?

本当の意味で政権や王朝を弱体化させる原因は国家経営の失敗である。すなわち経営の巧拙こそが歴史を動かす。

たとえば、アレクサンドロス大王治世の古代マケドニア王国、チンギス・カンが統治した中世モンゴル帝国、近代の列強にいたるまで、大帝国はしばしば世界征服を目的に掲げる。この目的を達成するために大帝国は支配地域に重税を課し圧政を敷く。そうしないと戦争を続けられるだけの資源が得られないからだ。

こうした政治においては「国家を目的とし、国民を手段とする」という逆転現象が起こっているため、政権に徐々に綻びが生まれる。

歴史を紐解いてみれば、これらの国家においてしばしば「○○大王の威信を世界に示すため」といった大義名分で人民は暴政に耐えることを強いられた。しかし、人民からすれば、○○大王の威信なんて食えもしないし見たことさえない。

特に侵略を受けて属州となったばかりの地域の住人からすれば、○○大王なぞ「強盗の親玉」くらいにしか思っていない。そのため、「盗っ人の見栄のために耐え忍ぶなんて無理な相談だ」ということになる。

国家は国民が共同で作り上げた虚構であり、国家自体は究極の目的にはなりえない。

究極の目的になりうるのは「国民一人ひとりの幸せ」のはずである。国家も、政治体制も、政治理念も、人間が作ったもの=人工物である。本来ならば、人間を幸せにしない人工物は捨てられるだけである。

「財政=国家経営」は本当か?

しかし、このことはいつでも忘れられる。そのたびに大混乱が起こり歴史に新たな一頁が足されていく。

あるいは歴史の中で何度もどこでも見られる現象として財政の問題がある。むしろ財政を国家経営そのものだと思っている人も多い。

たとえば、古今東西どんな国家でも官吏は増税を大使命だと勘違いしているかのように振る舞う。もちろん彼らは本当に愚かなわけではない。「自分たちの使命は増税ではなく、財政健全化だ」と堂々と主張する。だが、財政健全化もまた国家の目的にはなりえない。財政健全化は国民の幸せを実現するための手段のひとつに過ぎない。

仮に国民を重税で苦しめた挙句に財政健全化に成功するとして、そんな国を望む国民はいないだろう。そんな国を作り上げても、内乱と革命によって、財政健全化した国そのものがなくなる。結局そんな国では当の官吏ふくめ誰も幸せにならない。

それに、政権が重税を課せば課すほど、一般市民はなんとかしてその税を逃れるための方法を編み出す。たとえば、後漢においては戸籍を改竄して税を逃れるという方法が後を絶たなかった。日本においても、平安時代に租税回避のために租税を免れていた寺社や有力者への寄進地が増加した。租税と脱税の知恵比べ合戦は歴史の常である。

こうして、増税しても税収は増えない。それどころか一般市民は苦しみ、さらに脱税によって新たに権力を得る層が生まれてしまう。

王や帝に対する究極の侮辱

世界中どこでも、歴史の中で、租税回避の特権を得るものが必ず台頭してくる。

典型的には王の親族だ。男系王朝において権力者は娘の嫁入りを通じて次期国王の親戚(外戚)になることができる。そのため皇帝の外戚がこうした特権を通じてますます権力を増し、ついには「外戚の影響力を増すために幼齢の帝を立てる」という本末転倒な結果にいたる。

これこそ王や帝に対する究極の侮辱である。

そのうちに、本来は「人民を幸せにする」という約束を果たすために権限を委任されていたにすぎない政治権力は、まるで「特権階級だけが人民だ」と定義しているかのような行動に出る。特権階級の権利・権限は拡大し市民の権利・権限は極限まで縮小される。

細かい差はあれ、後漢でも、藤原摂関政治でも、李氏朝鮮でも、ほぼ同様の説明が通用する。世界の歴史は登場人物の名前以外は似たような出来事の繰り返しだ。

だからこそ、歴史の試験は、人物名の綴りや漢字といった些末な部分でしか点数差を付けられない。だからこそ私は歴史の試験で点数を取れなかったと言い訳させてもらおう。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

岩尾 俊兵 SHUMPEI IWAO
慶應義塾大学商学部准教授、東京大学博士(経営学)。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞(論文部門)、第37回組織学会高宮賞(著書部門)、第22回日本生産管理学会学会賞(理論書部門)、第4回表現者賞等受賞。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。著書に『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社新書)、『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)ほか。最新刊は『世界は経営でできている』(講談社現代新書)。