「理解不能」馳浩・石川県知事の“2週間待機”災害対応に「3・11」を指揮した2人が怒り「自衛隊との連携に疑問」

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「理解不能」馳浩・石川県知事の“2週間待機”災害対応に「3・11」を指揮した2人が怒り「自衛隊との連携に疑問」(FLASH編集部 投稿日:2024.01.31 06:00)

72時間の壁――。

2024年元日に発生した「能登半島地震」でも叫ばれた、大規模災害時の生死を分けるタイムリミットだ。

1月24日、「初動対応に遅れがあったということには当たらない」と振り返った岸田文雄首相が、被災地の視察に訪れたのは、震災から約2週間後の14日。そして、救助活動のための自衛隊の投入についても「遅い」という批判の声が多く聞かれていた。

今回の対応を、2011年の東日本大震災で指揮を執った経験者たちはどう見ていたのか。

本誌は、火箱芳文(ひばこ・よしふみ)元陸上幕僚長と、北澤俊美元防衛大臣に話を聞いた。

「東日本大震災では、私は大臣命令発令前に君塚栄治東北方面総監をはじめ、全方面総監に『ただちに東北地方の全員で被災地に向かえ』と指示しました」と話す火箱氏。決断の背景には、1995年の阪神・淡路大震災での後悔があった。

「あの当時は、自衛隊が要請なしに出動することへの拒否感が国民だけでなく、自治体側にもありました。しかし、要請を待っているうちに交通渋滞が始まり、神戸市内での火災も広まり、犠牲者が多数出てしまったことが頭のなかにありました。

3・11では『規模の極大さから広地域で大部隊が必要。出遅れたら人命が失われる』と、とにかく早く行かねばと決断したんです」

火箱氏の目に、今回の能登半島地震への政府、自民党の対応はどう映ったのか。

「『初動が遅い』と批判を受けていましたが、私はけっしてそんなことはなかったと思います。2016年の熊本地震では、4日めまでに約2万人の自衛隊員が動員されましたが、西部方面隊には第4師団、第8師団があり、道路も迂回できたために、熊本地方に集中することが可能だったんです。

能登半島の地形は特異なうえに、地震による道路寸断が多数箇所で起きており、部隊の車両進入ができなかったものと思います。

結果的に時間を要した地域もあったと思いますが、そのなかで、2日には中部方面総監を長とする陸海空で1万人態勢の災統合任務部隊を編成しているのですから、自衛隊としてまったく遅い動きではなかったでしょう」

一方で、「一般の国民と同じように、私も『なかなか自衛隊の動きが聞こえてこない』とは感じました」とも言う。

「『逐次投入をするのか』と批判されましたが、実際は1万人態勢を整えていたわけですから、まずその点を強調したうえで、今日現在の救助活動態勢・人数の広報や、現地のニーズに応じて対応する旨を丁寧に国民に説明していれば、批判は抑えられたはず。政府のアナウンスがうまくなかったと思います」

対して、北澤氏は自衛隊の動きについて、「小出しで部隊運用として最悪の対応だった」との感想を抱いていた。

「そして、全体像をつかもうという努力がなかったように感じました。東日本大震災では、菅直人総理が3月12日に、私が14日に被災地に行き、総理とともに10万人派遣を政治決断。さらに仙台を拠点に災統合任務部隊を編成しました」

北澤氏はこうも指摘する。

「やはり、責任ある人がヘリや飛行機で現地上空から全体像を見て、戦略的に災害派遣の判断をしないとダメでしょう。

今回、石川県の馳浩知事の現地入りが総理と同じタイミングになったことは理解不能ですよ。先に知事が被災地を見たうえで、総理に『この支援をお願いしたい』というのが普通です」

馳知事の被災地入りには、火箱氏も苦言を呈す。

「知事は、被害状況を自ら把握しなければどうしようもありません。そのうえで自衛隊、警察、消防などと連携して対応する必要があります。

東日本大震災で模範となるのは、県庁内に第9師団現地指揮所を置き、毎日ミーティングをおこない情報共有し、被災地の問題に対処されていた岩手県の達増拓也(たっそ・たくや)知事。

しかし映像を見る限り、馳知事の近くには迷彩服の自衛官が見当たらず、自衛隊との連携に疑問が残る印象でした」

被災者にとって、“取り返しのつかない2週間”はさすがに長すぎた。

( 週刊FLASH 2024年2月13日号 )