大阪万博が失敗確定な「4つの理由」、世界もあきれる“驚きの開催目的”とは?(DIAMOND online 2023.10.9 5:20)
秋山進:プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役
鮮烈な記憶を残した1970年大阪万博
大阪万博を楽しみにしている。子どもの頃、1970年の大阪万博に「月の石」を見に行った。アメリカ館で、月探索計画「アポロ計画」によって月面から持ち帰られた実物が展示されていたのだ。しかし、超人気で3時間くらい待たなくては入れなかったのであきらめた。3回行ったのだが、ついに一度も入れなった。
しかし、アメリカ館だけでなく、他国のパビリオンが相当面白かった。記憶が定かでないのだが、タンザニアのパビリオンではアウストラロピテクスの骨が展示されていたのではなかったか。今から考えれば間違いなくレプリカだったろう。タンザニアもアウストラロピテクスもそのときまでよく知らなかったのだが、何かしら大変興奮したことを覚えている。すごいものを見たと思った。
海外の国のパビリオンだけでなく、民間のパビリオンも良かった。日本ガス協会のガス・パビリオンの展示は、「笑いの世界」がテーマだった。笑った口をかたどった建物の造形がユニークで、建物すべてのエネルギーをガスで賄うシステムが展示され、オーブン料理が食べられるレストランもあり、楽しくて、おいしくて感動した。未来がそこにあった気がした。
当時の万博は、国家の威信をかけたプロジェクトでもあり、他国から興味深いパビリオンが集結し、企業も展示に相当力を入れていた。岡本太郎の彫刻をはじめ、文化的な側面でも有名な建築家やアーティストが参画するなど話題が多かった。
こういう思い出を持つ者にとって、あの感動をもう一度味わえるのであれば、本当に素晴らしいことだと思うのだ。しかしながら、直近の情報では、かなり雲行きが怪しい。大阪がいくら「笛吹けど、誰も踊らない」状況にあるようだ。特にパビリオンで何かを展示する外国や企業の誘致に苦心しているらしく、参加に乗り気でない国や企業が多そうなのだ。
一地方の地域おこしに、世界も企業も協力できない
そもそも、この手のお祭り(イベント)に、積極的に参加する理由は何か。
第一は、目的や大義への賛同であろう。そこで、大阪万博のHPを開いてみると、開催目的として次のように記載されている。
<「万博」には、人・モノを呼び寄せる求心力と発信力があります。この力を2020年東京オリンピック・パラリンピック後の大阪・関西、そして日本の成長を持続させる起爆剤にします。>
ちょっとびっくりである。地域の成長の起爆剤だったのだ。これでは、大阪以外の人の共感は得られまい。別途、万博の理念として、<世界の人びとと、「いのちの賛歌」を歌い上げ、大阪・関西万博を「いのち輝く未来をデザイン」する場としたい>という記述はあるし、当然、それに関連する展示などもありそうだから、それらしい格好はつくだろう。しかし、もともとの目的があまりに直截的で、これではパビリオンを出そうかなと思った国の大使も「どっちらけ」だろう。
次の理由は、名誉である。この栄えあるイベントに出展できることを喜びと思えることである。オリンピックの制服やユニホームを提供できることで、それが名誉となり、企業の格が上がり、ブランド力も向上することを狙い、みなし公務員に贈賄をして有罪判決を受けた例がある。したがって、これと同様に、パビリオンを出すことにメリットを感じてくれる企業もあると思われる。
しかしながら、すでに一流企業として認識されている企業にとって、今の時代に万博にパビリオンを出すメリットはあまりない。日本に来た外国人にアピールできるといっても、基本的には日本人が多く集まるイベントなのだ。さらには、22年までドバイでど派手な万博が開催されていたので、万博については食傷気味といったところではないだろうか。
経済的なメリットもなく、付き合う義理もない
第三の理由は、経済的メリットである。このイベントに出展し、新たな驚きを提供することで話題になり、国家や企業の価値が上がり、商品が売れるといった事態が期待できるのかどうか。
確かに万博は、各国のおいしい食べ物や興味深い未知の文化に触れることができる機会となるだろうから、そこへの集客から経済的なメリットを獲得することはできそうである。とはいえ、昨今は各国・各企業とも、すでに日々、SNSなどのインフルエンサーを通して、ターゲットごとにメッセージを伝達する努力をしている。不特定多数相手の万博にどれだけ期待できるのかはかなり未知数である。
第四の理由は「お付き合い」である。大阪で一丸となって、関西で一丸となって、あるいは日本全体で一丸となって……という機運が高まっているなら、それを無視することはかなり難しい。しかしながら、目的のところにあったように、このイベントの主役は大阪であり、ちょっと拡大して関西、そして取って付けたかのように日本の経済発展のためにやるイベントであると明記されている以上、まずは大阪が頑張れば良いのであって、その他の地域の人は良くて様子見である。
ただ、関西といっても決して一枚岩ではない。対関東・対東京ということでは団結することもあるかもしれないが、大阪の近隣県はそれぞれ、「うちは大阪とは違いますから」と一くくりにされることにむしろ抵抗する傾向さえある。大阪の中であっても、「うちはみなさんが思っている大阪とは違いますから」と思っているに違いないし、必ずしも万博を歓迎していない人だってたくさんいるだろう。
無理にお付き合いをしなくて良いのであれば、誰も積極的に参加しようとはしない。そこで、今回はテコ入れが行われ、経済産業事務次官経験者が担当となり、大阪を地盤としていない企業も、お付き合いでも良いから、何らかの支援をしてほしいという依頼を受けることになるだろう。それで、仕方なく参加する国や企業が出てくることはあっても、あくまでお付き合いだから、手間もお金もかけず、お茶を濁したような展示が増えるだけとなるだろう。全体として、「しょぼい」ことになってしまう可能性は高い。
「撤退」の英断を誰が下すのか
では、このように、かなり追い込まれているように見える万博をどうすれば良いのか。
この地域イベントを国家イベントとして捉え直し、大義・名誉・経済的メリットのあるものに仕立て直し、「ちゃんとお付き合いしないとまずいな」と他国、企業に思わせるだけのリセットができれば良い。しかし、そんなことが今からできるだろうか。開催は25年なのだから、残念ながら間に合わず、無理であろう。
だとすれば、もはや中止しかない。これまで費やした手間暇お金、国際的な恥辱……いろいろあろうが、そもそも、この万博というフォーマット自体、サイバー空間で世界がつながる時代には「オワコン」だ。このようなものの開催にエネルギーを注いだことが無駄だったのである。
大がかりな建設工事が始まる前にやめてしまえば被害も最小限で済む。なお、ゼネコン関係者は万博を開催した方がもうかるのではないかと思う向きもあるかもしれないが、昨今の資材の高騰や人手不足が続く現状では、なかなか手出ししにくいと思われる。というのは、こうした公共的な事業の場合、当初の予算以上にコストがかかった分は持ち出しになってしまうことが多いからだ。
70年の万博プロデューサーで、当時通商産業省(現在の経済産業省)官僚だった堺屋太一氏は、25年の大阪万博を提唱する際に、民の文化を醸成してきた大阪が万博を契機に、大阪という都市を日本だけでなく世界でどう位置付けるかを考えた。「自主独立の文化をもう一度生み出し、大阪の誇りを取り戻すことは、日本にとって有益になる。今こそ発想を大転換し、再び日本の中心たる大阪を目指そう」と考えたようである。今回の万博にはこの思想が確実に踏襲されている。
そう考えること自体が悪いことだとは思わないが、それであれば大阪かつ民間だけで完結する内容にすべきだったし、そのための媒体は万博という「オワコン」の様式ではなく、別のものを選ぶべきであったのであろう。私は堺屋太一氏を心から尊敬しているが、かつての万博で優れた手腕を発揮した人物であっても、晩年のその視点は、時代や社会の変化を正確に捉えることができていなかったと思わざるを得ない。
と、ここまで厳しいことばかりを書いてきたが、それでも再びあの感動を味わいたいという気持ちは今でも変わらない。今から中止することはないのであろうから、事務局の方、関係者の方、一筋縄ではいかない難しい局面だが、どうか頑張って素晴らしい万博にしてほしい。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)