三浦瑠麗氏、東大時代のコンテスト受賞論文がヤバい理由。権力者への“おべんちゃら”ダラケ(女子SPA! 2023.01.31)
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保守派の論客で国際政治学者の三浦瑠麗氏がトラブルに巻き込まれています。
夫の三浦清志氏が代表を務める「トライベイキャピタル」の本社と清志氏の自宅が1月20日に東京地検特捜部から家宅捜索を受けたのです。太陽光発電事業への出資を名目に10億円をだまし取られたとする民事訴訟がきっかけでした。
現時点で三浦瑠麗氏は経営には関与しておらず、一切知り得ないこと、そして捜査中の案件へのコメントは控えるように言われているとして、踏み込んだ発言をしていません。その一方で、『めざまし8』(フジテレビ)や『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)への出演を見合わせるなど、各方面に影響が及び始めています。
三浦氏の自民党主催コンテスト受賞論文が話題「スカスカの感想文」「ポエム」
ときには世間と対立し炎上も辞さない発言で知られる三浦氏ですが、キャリアの出発点は、ある論文コンテストでした。
それは2004年に自民党が主催した「第1回 国際政治・外交論文コンテスト」。当時東京大学の学生だった三浦氏は『「日本の国際貢献のあり方」を考える』という論文で自由民主党総裁賞、つまり最優秀賞に輝いたのです。ちなみに当時の総裁は小泉純一郎元首相で、自民党幹事長は故安倍晋三元首相でした。
そして今回のスキャンダルをきっかけに、“国際政治学者”としての見識に疑問を抱いていた人たちが再びこの論文に注目しているのです。
【第1回】「日本の国際貢献のあり方を考える」
◆自由民主党 総裁賞
三浦 瑠麗(東京都) 23歳 女性 学生
「日本の国際貢献のあり方」を考える PDFファイル
◆自由民主党 幹事長賞
田中 麻衣子(愛知県) 23歳 女性 学生
アフリカにおける日本の国際貢献のあり方についての一考察 PDFファイル
◆自由民主党 国際局長賞
森 一陽 (愛知県) 41歳 男性 会社経営
「日本の国際貢献のあり方」を考える PDFファイル
理由は論文の中身。ツイッターなどのSNSでは“スカスカの感想文”とか“感傷的なただのポエム”と、さんざんな言われようです。実際に読んでみましょう。
タイトルは『「日本の国際貢献のあり方」を考える』。壮大なスケールながら段落はたったの5つ。しかも各段に割かれた分量はせいぜいA4用紙1枚程度。量より質の王道路線だったらいいのですが…。
とにかく“世界に日本を示せ!”
1項目目「国際貢献とは日本の生き様を示す舞台でなければならない」からぶっ飛ばします。<我々日本人は、国際社会においては、まさにジャパニーズ・ドリームの体現者であることをまず自覚すべきである。(中略)国際貢献とは、日本の生き様を国際社会に示す舞台でなければならない。> (三浦瑠麗『「日本の国際貢献のあり方」を考える』より引用。以下同じ)
国際社会サイドとしても、“勝手に舞台にされてもさぁ…”といったところでしょうが三浦氏はおかまいなし。なぜ“貢献=生き様を見せること”なのかの説明がまったくないままに突破していく。
貢献できるかどうかなど最初からどうでもいいのでしょうね。とにかく“世界に日本を示せ!”。こうなるとテーマなどあってないようなものです。
「生き様」へのこだわり
そういうわけで三浦氏の「生き様」へのこだわりはさらに加熱していきます。2項目目「国際貢献を取り巻く議論の特徴」と結論部分にも繰り返し登場し、特に2項目目でピークに達する。
<日本の国際貢献の隅々には、日本人の知恵と生き様が体現され、日本の理想を掲げられているべきである。>
“てにをは”の使い方が怪しい部分もありますが、ワンセンテンスの中での“日本、日本人、日本”のサンドイッチには執念すら感じます。
自分のことを“特別”だと勝手に自覚
そして結論部。国際貢献の概念を塗り替える一文は衝撃的です。
<日本の国際貢献を考えるにあたって、我々日本人も、そろそろ他国に何を求められているかを中心に考えるのをやめ、日本は何を理想とし、その理想を実現するための戦略的な方法は何かを問うべきではないだろうか。>
相手の意向をうかがわず“戦略的に”理想を実現するって、それ侵略じゃん!? さらにこう続けます。
<日本の理想を掲げることは、他国に対して優越的な地位を主張したり、、威張ったりすることではない。むしろ、日本と言う類い稀な国に生まれた我々の、世界とアジアに対する特別の責任を自覚した覚悟の必要な姿勢である。>(原文ママ)
グーグルからも訂正をサジェストされていますが、ひとまず日本語の怪しい点は置いておきましょう。問題は全くつじつまが合っていないことです。
“他国に対して優越的な地位を主張しない”と言っているそばから、“日本と言う類い稀な国”や“世界とアジアに対する特別の責任”というフレーズが飛び出すジェットコースター的展開。自分のことを“類い稀(たぐいまれ)”と自負したり、“特別の責任”を負っていると自覚するのって、完全にマウントバトルじゃん。
おそらく書いている本人すら何を言っているかわからないのではないでしょうか。それなのになぜかいつも国粋主義みたいなものに帰着してしまう不思議。
思想信条の自由は当然のこととしても、論理的根拠を失っているのに頑(かたく)ななコンセプトだけは残っていて気味が悪いのですね。
権力者への嗅覚の鋭さ。気持ちよくさせるワードがあらゆる箇所に
これ、“スカスカの感想文”とか“感傷的なポエム”なんて甘いもんじゃありません。むしろ文章の形状自体はそれらとは異なり無機質でありながらも、あらゆるメッセージに権力者を気持ちよくさせるワードやフレーズが散りばめられている。
そんな嗅覚の鋭さだけが、異様に野生なのです。いわば欲望を持ったChatGPT(注:人間からの質問に回答する対話式のAIチャットボット。)。
作家の適菜収氏は『日刊ゲンダイdigital』の連載コラム(2023年1月28日)でショーンKや佐村河内守と同類と論じていましたが、三浦瑠麗は彼らほど笑わせてくれません。もっと直接的でむき出しの存在なのではないかと感じるのです。
今回改めて論文を読み、筆者はいまの三浦瑠麗氏よりも学生時代の彼女に恐怖を抱きました。
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4