「農地のグランドデザインを欠く日本の農業」(第50回毎日農業記録賞 平澤明彦・農林中金総合研究所理事研究員)

農地のグランドデザインを欠く日本の農業 政治・経済

農地のグランドデザインを欠く日本の農業 第50回毎日農業記録賞×聞く(毎日新聞 2022/11/23 14:30 最終更新 11/23 14:30)

平澤明彦 農林中金総合研究所理事研究員

「食糧安全保障」を考えるには、戦後史を見通す作業が要る。長年にわたり、欧米の農政や世界の食料事情を見つめてきた農林中金総合研究所・理事研究員の平澤明彦さんの話からは、日本と欧州の鮮明な違いが浮かび上がる。

――世界の農政に共通する基準のようなものは見えますか。

土地という資源。すなわち、国民1人あたりの農地面積の多寡に左右される要素が非常に大きいと言えます。一般に、農地が広ければ余剰が生じ、国内で消費しきれない分は輸出に回す。一方、農地が狭ければ生産は不足し、需要をまかなえない分は輸入に頼る。同時に、広い農地を基盤に経営規模が大きければ価格競争力は高まり、小さければ低い。これが基本的な視座です。

最も競争力があるのは豪州で、それに次ぐ米国は不足払いと呼ばれる補助金で競争力を高めてきました。一方、競争力で劣る欧州各国の補助金政策は、国内生産保護の色彩が強かったといえます。日本の場合は、人口あたりの農地面積が極端に少ないという点が際立ちます。

――農地が足りない日本では、輸入への依存は当然ということでしょうか。

戦前の日本は、コメの国内需要の約2割を輸入に頼っていました。終戦直後は食料難にも直面した。一方、連合国を支援する立場にあった米国は穀物増産態勢を敷きましたが、戦争の終結で欧州同盟国の生産が戻るにつれ、逆に、余剰穀物を抱える状況になりました。米国は、食料が元々不足していた日本に余剰穀物を入れました。戦後の日本政府も食料増産を掲げていましたが、主眼は主食のコメでした。小麦や大豆、飼料用のトウモロコシは、安く、そして大量に確保できる輸入に頼る方が合理的だ、という判断があったのかもしれません。

――そこで、問題が顕在化した、と?

この枠組みは、戦後復興から高度経済成長期に入っても続きました。1961年に制定された農業基本法にも、コメは自給を前提に経営規模の拡大をうたう一方で、輸入品と競合する分野は合理化する方向が打ち出されました。小麦、大豆、トウモロコシを指します。「選択的拡大」と呼ばれる農政の基本方針です。

畜産振興がうたわれていたので、安い輸入飼料は歓迎されました。コメの自給が達成されるのは高度成長さなかの67年ですが、翌年にはコメ余りに直面、すぐに減反政策が始まります。ならば、コメの代替に、ほかの土地利用型の作物である小麦、大豆、トウモロコシを栽培すればよいと考えますが、既に安く入っている輸入品には太刀打ちできない状況になっていました。端的に言うと「作るものがなくなっていた」ということです。

一方で、国境を開いていなかったコメの内外価格差は何倍もの水準に拡大しており、輸出ビジネスへのビジョンも描きにくかった。

――現在に至る「コメ問題」の原点ですね。

食料自給を考える要素は、コメ生産だけではありません。コメの需給ギャップに生産者の高齢化が追い打ちをかけ、耕作放棄地が増え続けるという今の状況は、元々、国内自給を支える農地面積が少ない日本にとっては、矛盾以外のなにものでもありません。終戦から減反政策が始まるまで、約30年ありました。しかしその間、時代の制約もあり、自立的で総合的な農政ビジョンを描ききれなかった。

――欧州各国は、軒並み高い食料自給率を確保しています。

日本と同様、1人あたりの農地面積が狭いスイスを例にとりましょう。スイスは0.18ヘクタールで、その多くは草地です。ちなみに日本はさらに狭く0.03ヘクタールです。米国は1.24ヘクタール、豪州は14.41ヘクタールもあります。

山岳国で寒冷な気候のスイスの農業条件は不利で、長年、自由貿易によって国内の需要を支えていました。それが変わったのは、両大戦下での食料不足の経験と、東西冷戦下において永世中立の国是を支える必要性があったからだと考えられます。戦後、国内農業の保護にカジを切り、GATT(関税貿易一般協定)の農業保護に対する制限の適用除外を獲得。90年代の最高時にはパン用穀物の自給率を138%に高め、2000年代には飼料用穀物自給率も最高77%に上げました。

その後、GATTの協議で農業保護の削減が求められたことなどから、国境保護措置の引き下げや価格自由化が行われましたが、一方で、14年には国民への食料供給を保障するため、最低限の生産を条件に、農家への新たな直接支払い制度を導入。17年には食糧安保条項を盛り込んだ憲法改正が、国民投票によって実現しました。カロリーベースでみた全体の純食料自給率は、19年時点で50%以上を維持しています。

――戦地になった欧州各国の共通認識でもあるようですね。

戦後史をふりかえると、欧州の復興の過程で、各国は個別品目ごとの自給率の回復に傾注していたことが分かります。欧州の真ん中に、冷戦下の「鉄のカーテン」が存在するという状況下で、「食糧安保」は、まさに目の前の現実だったのでしょう。その意識は今も継続しています。EU(欧州連合)は13年、CAP(共通農業政策)改革に向けた政策形成の中で食糧安保を第一義に掲げ、23年から実施される次期CAPでは、食糧安保を法定目標の第一に据えています。農家の基礎的な所得を支える直接支払い制度には、食糧安保を担保する役割を与えています。

――ひるがえって、日本の農政改革に必要な視点は?

先ほどお話しした「矛盾」を解消することです。農地が足りないのに水田が余っている。これはおかしい。今後は人口の減少とともに、コメの需要がさらに縮小します。土地利用型の他の作物への切り替えを今からでも積極的に考えるべきです。

必要なのは、農地全体のグランドデザインを描き直す視点です。水田と畑、畜産のバランスを総合的に考えて、農地を最大限有効活用する道を探るべきです。これは、欧米にはない課題です。移行は長期にわたり、経済情勢や気候変動、技術動向を見極めつつやっていく必要があります。

飼料穀物は、カロリーベースの自給率をかなり左右します。水田を飼料栽培に転換し、あるいは放牧によって、農地としての保全を図る。これも描き方の一つです。

――補助金の制度設計を変える必要がありますね。

スイスの事例がここでも参考になります。直接支払いの補助金は、ほぼすべて、憲法が規定する農業の多面的機能に対応するものに限定されています。EUの次期CAP改革でも、雇用を増やしながら温室効果ガス排出を減らす成長戦略EGD(欧州グリーンディール)や、「ファーム・トゥ・フォーク(農場から食卓まで)」戦略が求める気候・環境戦略に沿った内容になっています。生産者の利害だけではなく、環境団体や消費者の視点が盛り込まれた結果であり、納税者の同意を得るためのプロセスともいえるでしょう。

――日本でも、食料・農業・農村基本法の改正議論が始まりました。

現行の基本法に盛り込まれている「多面的機能」は、事実上、インフラとしての水田が果たしている機能のことを言っているだけであり、気候・環境のテーマに農業がどう関わっていくのか、という広がりにはつながりません。現行法の制定から、状況は大きく変わっています。新たな財政支出を伴う農政改革の理解を得るうえで、この課題をどれだけ深掘りできるかが、重要な観点になります。

平澤明彦(ひらさわ・あきひこ) 農林中金総合研究所理事研究員
1967年、東京都生まれ。92年、東京大大学院修士課程修了、農林中金総合研究所勤務。2004年、東京大大学院で博士(農学)取得。主な研究分野は、EU・米・スイスの農業政策、食糧安全保障政策。著作に「次期CAP改革と欧州グリーンディールからの要請」「EU共通農業政策(CAP)の新段階」など。

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