<社説>週のはじめに考える 科学研究が枯れる前に…東京新聞

科学・技術

<社説>週のはじめに考える 科学研究が枯れる前に(東京新聞 2022年11月20日 08時00分)

ノーベル賞の授賞式が十二月十日、スウェーデンのストックホルムで開かれます。今年はいませんが、日本人の受賞者は二〇〇〇年以降、二十人に上り「ノーベル賞ラッシュ」とも言われます。

しかし、ここ数年で受賞した研究者らは口々に日本の科学技術研究の現状を憂えています。いずれ日本から受賞者が出なくなるかもしれないというのです。

ノーベル賞は発見や発明から二十年以上たって贈られることも珍しくなく、〇〇年以降の受賞の多くが一九七〇〜八〇年代の業績です。当時よりも状況はもっと悲観的だというのです。

二〇一六年の医学生理学賞、大隅良典・東京工業大栄誉教授は受賞後の取材に「今の科学は性急に役立つことを求められ研究者に余裕がない。ものすごく短期間で費用対効果が問われ、みな疲弊している」と訴えました。

一五年の物理学賞、梶田隆章・東京大特別栄誉教授も「科学はすぐ役立つものという考え方が当たり前になった」と話します。

共通するのは「科学が消費されていく」という危機感です。

◆短期で結果を求められ

背景にはバブル崩壊後の経済停滞があります。国立大学は〇四年に法人化され、人事などの裁量と引き換えに、運営や研究の基盤となる国の交付金を毎年1%ずつ減らすことになりました。財政難の国から「各自うまくやってくれ」と切り離された形です。

補助金削減で浮いたお金は「競争的資金」に回されました。国が公募、採用した研究に出すもので国の意向が強く反映されます。

競争的資金の年限は長くて五年ほど。中間評価もあって短期で結果を出さなくてはならず、息の長い研究には向きません。大隅氏は「私は最初の論文を出すまで四年かかった。今なら完全にはじき飛ばされていた」と話します。

国の第五期科学技術基本計画(一六〜二〇年度)に「社会実装」という言葉が登場します。簡単にいうと実用化です。この言葉を知ったのは世界的業績を上げているある教授を取材したときでした。

もの静かな人が「社会実装、社会実装と求められる。予算をもらうために実用化に力を注ぎ、基礎研究のパワーがそがれる。トップ10論文が減るのは当たり前」と激しい口調になったのです。

トップ10論文というのは、引用回数が上位10%の「影響の大きな論文」のことです。日本のトップ10論文数は一九九九年時点で世界四位でしたが、二〇一九年には十位に落ちました。特に大学法人化後の〇五年ごろから急激に順位を下げています。

効率的に研究成果を上げ、経済的な効果に結び付けようという思惑は空回りしている形です。

焦る国は、方針を見直すどころか、要求を一層強めます。

二一年度からの第六期科学技術基本計画の名称を「科学技術・イノベーション基本計画」に変え、社会を変える大きな技術革新という意味の「イノベーション」を前面に打ち出したのです。「社会の役に立つ」から「停滞した社会を変えろ」への加速です。

◆成果搾り取るだけでは

科学研究を取り巻く状況の変化を受けて、大学院の博士課程に進む学生の割合が減っています。疲弊する研究者を見て尻込みするのも当然です。競争的資金はもともと力のある東京大学など一部に集中し、規模や設備面で不利だった地方大学は資金獲得が難しく、若手の育成にも苦しんでいます。

研究成果が役立つに越したことはありませんが、大きな成果やイノベーションは予想もしないところに生まれます。薄く広く研究資金を配るのが効果的との主張にも説得力があるように思えます。

トップ研究者を支援して世界と競うことが必要だとしても、科学の根幹や裾野を細らせてはいけません。成果を搾り取るばかりではいずれ底をつきます。

農業や漁業、エネルギー利用では持続可能な方法が探られているのに、科学政策では顧みられないのはなぜでしょう。

十兆円のファンドを運用した利益で大学を支援する試みが始まりましたが、支援にはトップ10論文を多く出しているなどの条件が付きます。それでは今の格差をいっそう広げるだけです。

それよりも見込んでいる運用益の半分を充てるだけで、法人化以降減らしてきた交付金をまかなえます。今なら間に合うかもしれません。長い年月をかけて培ってきた日本の科学研究を枯らしてしまう前に考え直す必要があります。