田中角栄は「赤字ローカル線」をどう考えていたか 「日本列島改造論」は新幹線以外も言及していた(東洋経済ONLINE 2022/08/23 4:30)
1972年6月に刊行された『日本列島改造論』で、田中角栄は日本における鉄道の重要性を説いていました。全国を新幹線ネットワークで結ぶ構想を提唱したのが田中角栄であることはよく知られていますが、地方の鉄道路線についてはどう考えていたのか。作家の小牟田哲彦氏が新著、『「日本列島改造論」と鉄道』(交通新聞社新書)でその点を深く分析しました。同書から地方ローカル線に関する部分を抜粋して紹介します。
地方ローカル線はどう記述されているか
『日本列島改造論』が説く鉄道政策の大部分は、新幹線ネットワークの拡大に関することが占めている。在来線に関することは、全国新幹線鉄道網ネットワークを整備して長距離旅客需要を新幹線へ集約させたうえで、旅客輸送力に余裕ができた在来線が貨物輸送や地域密着輸送の主役として機能する役割分担を図るべき、という形で言及している。同書の第Ⅳ章「人と経済の流れを変える」の後半項目「工業再配置を支える交通ネットワーク」に並ぶ7つの小項目でも、鉄道をメインテーマとするのは2番目の「開幕した新幹線時代」で、その名の通り新幹線のメリットや将来性が紙幅を割いて語られている。
この「開幕した新幹線時代」の本文は、2つの小見出しによって二分されている。その1番目は「拡大する一日行動圏」というタイトルで、まさに新幹線の話題が凝縮されているのだが、2番目が「国土開発と地方線の再評価」となっていて、新幹線ネットワークの拡大とはほとんど関係ない地方の赤字ローカル線に関する主張が展開されている。
「もう一つ、ふれておかなければならないのは日本国有鉄道の再建と赤字線の撤去問題である。国鉄の累積赤字は47年3月末で8100億円に達し、採算悪化の一因である地方の赤字線を撤去せよという議論がますます強まっている。
しかし、単位会計でみて国鉄が赤字であったとしても、国鉄は採算と別に大きな使命をもっている。明治4年にわずか9万人にすぎなかった北海道の人口が現在、520万人と60倍近くにふえたのは、鉄道のおかげである。すべての鉄道が完全にもうかるならば、民間企業にまかせればよい。私企業と同じ物差しで国鉄の赤字を論じ、再建を語るべきではない。
都市集中を認めてきた時代においては、赤字の地方線を撤去せよという議論は、一応、説得力があった。しかし工業再配置をつうじて全国総合開発を行なう時代の地方鉄道については、新しい角度から改めて評価しなおすべきである。北海道開拓の歴史が示したように鉄道が地域開発に果す先導的な役割はきわめて大きい。赤字線の撤去によって地域の産業が衰え、人口が都市に流出すれば過密、過疎は一段と激しくなり、その鉄道の赤字額をはるかに越える国家的な損失を招く恐れがある。
豪雪地帯における赤字地方線を撤去し、すべてを道路に切り替えた場合、除雪費用は莫大な金額にのぼる。また猛吹雪のなかでは自動車輸送も途絶えることが多い。豪雪地帯の鉄道と道路を比較した場合、国民経済的にどちらの負担が大きいか。私たちはよく考えなくてはならない。しかも農山漁村を走る地方線で生じる赤字は、国鉄の総赤字の約1割にすぎないのである」
夢の超特急とも称された新幹線をこれから全国に展開しようという明るい未来の話題に比べると、赤字ローカル線の存続問題は「赤字」というマイナスイメージを真正面に掲げざるを得ないためか、新幹線の話に比べてかなりコンパクトにまとめられている。
そもそも「開幕した新幹線時代」という項目名からはかけ離れた内容で、他にこの話をする適当な場所がないため鉄道つながりのこの位置で主張したのか、それとも「新幹線と在来線は一体としてそれぞれにふさわしい役割を担うべき」という主張の一環として、この項目で新幹線と同時に論じるのが妥当だと判断した結果なのか、著者の意図は明らかではない。
国有鉄道経営のあるべき姿を論じた
この短い項目にまとめられている同書の主旨を整理すると、次の4点に分けられる。
①国鉄のローカル線問題は民間企業の尺度で測るべきではない。
②赤字線を廃止すれば、その地域の過疎化と都市部への人口流入による過密化が進む。
③特に豪雪地帯では、鉄道の方が道路より有用である。
④全国の赤字ローカル線の運営によって発生する赤字額は国鉄全体を揺るがすほどのものではなく許容範囲である。
①については、赤字ローカル線の経営が当時の国鉄の収支悪化の要因の1つであると指摘されていたことに対する、田中の一貫した反論そのものである。田中は国鉄の単年度収支がまだ黒字だった昭和37(1962)年、運輸省内に設置されていた鉄道建設審議会(鉄建審)という諮問機関の会合で「私は、鉄道はやむを得ない事であるならば赤字を出してもよいと考えている」と明言している。このときの田中は、「採算のとれないところの投資をしてはならないということは間違いと思う。鉄道敷設法はそんな精神によって制定されたものと考えていない、鉄道の制度の考え方でペイするとかしないとか考えていたら、鉄道の持つ本当の意義は失われると思う」とも発言している。『日本列島改造論』の刊行はこれらの鉄建審での発言から10年後であり、鉄道の経営に対する田中の基本的な考え方は全くぶれていないことがよくわかる。
②は、同書が提唱する「都市の過密と地方の過疎の同時解消」を図るための工業再配置を後押しする交通ネットワークの整備理由の1つとなっている。最も重視しているのは新幹線だが、そもそも大都市圏以外の地方に鉄道を存在させること自体が重要であるとの考えが根底にある。第Ⅳ章の後半「工業再配置を支える交通ネットワーク」の冒頭で、次のようにそのことを真っ先に訴えている。ここでいう「地方における産業立地の不利をおぎなう」ための鉄道が、赤字ゆえに廃止の検討対象となっていたのが当時の事情であった。
「工業の再配置や地方都市づくりをすすめるためには、交通網や情報網の先行的な整備が欠かせない条件である。人、物、情報の早く、確実で、便利で、快適な大量移動ができなければ、生産機能や人口の地方分散はできないからである。地方都市や農村の多くは、産業に必要な労働力、土地、水を持っているが、大都市にくらべて、長年にわたって蓄積された社会資本にとぼしい。そこで鉄道、道路をはじめとする産業や生活の基盤をつくり、地方における産業立地の不利をおぎなうことが必要である」
③は、新潟の豪雪地帯で生まれ育った田中が事あるごとに主張した、雪国特有の事情である。昭和40年代はまだ地方の道路整備が発展途上であったうえ、冬季の除雪対策も脆弱で、鉄道なら平年並みの積雪である限り列車が走る場合でも、道路は通行止めになりやすい。現代でも、冬季は半年近く閉鎖される山越えの幹線道路などもある。雪深い地域に住む人たちにとって、とにかく通年で毎日列車が運行される鉄道を待望する気持ちは、都会に住む者の比ではなかったと言われる。
最後の④については、当時の国鉄におけるローカル線の赤字状況に照らすと、言わんとすることが見えてくる。
国鉄の経営実績は国の収支の一環として、会計検査院が憲法第90条に基づき毎年その決算を検査し、その検査報告は国会に提出されていた。現在でも会計検査院のホームページには、日本国憲法が施行された昭和22(1947)年度以降の全ての年度の国鉄に対する検査結果が公開されている。
ローカル線の赤字は高額ではない
特に、『日本列島改造論』の刊行直前にあたる昭和46年度決算以降は、国鉄路線と船舶(青函連絡船などの連絡航路)を幹線約1万キロと地方交通線約1万1000キロに二分し、それぞれについて経営成績を明らかにしている。
そこで、この昭和46年度版の決算検査報告の国鉄に関する部分を見ると、幹線系線区の収入は1兆0899億円で鉄道・船舶による総収入の93パーセント、経費は1兆1573億円で鉄道・船舶による総経費の83パーセントを占める。一方、地方交通線は収入が810億円、経費が2408億円である。地方交通線の赤字は1598億円で、当年度の国鉄全体の赤字2425億円の半分以上を占めるが、地方交通線に要する経費自体は、国鉄全体の営業経費1兆4207億円の17パーセントに過ぎない。
つまり、地方交通線の中でも特に路線単体での採算が芳しくない地方ローカル線の営業経費の総額は、相対的に見れば国鉄全体を揺るがすほど高額ではない、という言い方ができる。そのような経費の支出による赤字は、国鉄全体の他部門の営業収入によってカバーできるはずであり、地方の開発を使命とする国有鉄道ならばそうすべきである、というのがここでの論旨であろう。