2021年7月9日

西村氏「酒禁止、金融機関通じ」発言 批判収まらず釈明、撤回
西村康稔経済再生担当相は8日夜の記者会見で、新型コロナウイルス対策で行う酒類提供停止などに応じない飲食店に対し、金融機関から対策順守を働きかけてもらう考えを表明した。資金面から飲食店への圧力をかけたと受け止められかねない発言だけに、飲食店や金融機関の反発も広がり、野党は辞任を要求。西村氏は9日、方針を撤回した。

無観客開催、世界に賛否 「防疫第一」「理解不能」―「しっくりこず」辞退の選手も
東京五輪は緊急事態宣言下、首都圏1都3県会場が無観客という「異例の開催」(菅義偉首相)が決まった。海外メディアやインターネットでは、コロナ禍が収束しない中でのスポーツの祭典に関心が高く、決定に賛否が割れる。

男子テニスのニック・キリオス選手(オーストラリア)は9日、「誰もいない会場で対戦することを考えたが、しっくりこない」と不参加を打ち明けた。

2024年パリ夏季五輪を控えるフランスのメディアも、無観客とする日本政府の決定を相次いで報じた。仏公共テレビのサイトには、読者から「賢い選択だ」「難しいが勇気ある決断だ」と称賛するコメントが寄せられる一方、「理解不能で、ばかげた決定だ。記者や大会関係者も感染リスクは低くない」と批判的な意見もあった。さらに、観客を入れて感染者が続出するサッカー欧州選手権を引き合いに出し「日本人の方が勇敢だ。こちらも無観客にすべきだった」と反省する声も上がった。

米主要メディアも関心を持って伝えた。ワシントン・ポスト紙は「苦悩してきた主催者や長引く不安を抱えるチケット所有者にとって悲しみの頂点」と報道。「空っぽの国立競技場は、五輪への多額の投資にもかかわらず、日本の国民や経済にはほぼ恩恵がなかった象徴となる」と論評した。CNNテレビは「緊急事態宣言下で、どうしてこのような巨大なイベントをやるのか、理解するのは難しい」(ジョージ・ワシントン大医学部のジョナサン・ライナー教授)と開催自体に疑問を呈する見方を紹介。ライナー教授は「日本は恐らく五輪を中止すべきだった」とも指摘した。一方、サキ米大統領報道官は記者会見で、無観客と決まったことについて「バイデン大統領は東京五輪の開催と、選手、スタッフ、観客を守るために必要な公衆衛生対策を支持する」と表明した。 

天皇陛下の五輪開会宣言「お願い取り下げるべきだ」 島根知事が発言
東京五輪の開会式での天皇陛下の開会宣言について、丸山達也・島根県知事は9日の定例記者会見で、新型コロナ禍の中で五輪開催に賛否が分かれていることを踏まえ、「(開会宣言を)お願いできる立場なのかを大会組織委や政府、東京都は再検討すべきではないか」と述べた。

現行憲法が第1条で天皇を「日本国民統合の象徴」と定めていることを踏まえ、丸山知事は「これだけの国民世論の議論になっている場にお出ましいただいて、開催宣言をお願いしていいのか」と疑問視。陛下のお立場を考え、お願いする側が取り下げを考えないといけない状況になっていると思う。私が(組織委の)橋本(聖子)会長の立場なら取り下げます」とした。

国民・玉木代表を批判 陛下の五輪開会式出席めぐり―山口公明代表
公明党の山口那津男代表は9日、国民民主党の玉木雄一郎代表が天皇陛下の東京五輪開会式出席に否定的な考えを示したことについて「政治側から行動を求めたり、制御したりする発信は可能な限り控えるべきだ」と批判した。国会内で記者団に語った。玉木氏は8日に新型コロナウイルスの感染再拡大を受け「個人的な意見を申し上げれば、(開会式に)お出ましいただくべきではない」と言及した。

熱海土石流 造成が誘発した人為的な「河川争奪」地質学者が指摘
静岡県熱海市伊豆山地区で起きた土石流で、現地調査に基づき「人災だ」と見解を公表した地質学者の塩坂邦雄さん(76)は9日、県庁での記者会見で、造成で尾根が削られたことによって雨水の流れ込む範囲(集水域)が変化、盛り土側に雨水が流入した結果、土石流を誘発したと分析した。

塩坂氏は土木学会の特別上級技術者。リニア中央新幹線南アルプストンネル静岡工区の問題を話し合う県中央新幹線環境保全連絡会議の地質構造・水資源専門部会の委員を務めている。

塩坂氏は、盛り土付近の造成で尾根が削られたことにより、逢初川の集水域よりさらに北部にある、鳴沢川の集水域約20万平方メートルに降った雨も、盛り土側に流れ込んだと分析している。造成地側から盛り土側に水が流れた跡も確認したという。さらに、崩落した盛り土周辺と同様の地質構造の沢は熱海市内に複数あるが、それでも今回の雨で盛り土周辺が崩れた要因として、「河川争奪」を挙げた。河川の流域の一部分を別の河川が奪う地理的現象で、造成によって水の流れが変化し、逢初川よりも北部の鳴沢川に流れ込むはずの雨水が、谷を埋めた盛り土に流入。雨水が逢初川側に流れ込んだと主張した。