なぜビッグバンの前に「インフレーション」が起きたと物理学者は考えるのか?ビッグバン理論では解決できない4つの問題(Kodansha Bluebacks 2024.12.04)
浅田 秀樹 弘前大学 理工学研究科 宇宙物理学研究センター センター長・教授
時空の歪みとして捉えられた謎の重力波の存在。世界に衝撃を与えたこの観測事実から宇宙誕生に迫る最新の宇宙論を紹介する話題の書籍『宇宙はいかに始まったのか ナノヘルツ重力波と宇宙誕生の物理学』。
いよいよ話題は「宇宙のはじまりの姿」に迫っていきます! 宇宙の始まりについては「ビッグバン理論」からそれ以前に起こったとされる「インフレーション宇宙モデル」が提唱されました。実は、ビッグバン理論にはいくつかの大きな問題が存在します。この記事では「ビッグバン理論」の問題点について見ていくことにします。
*本記事は、『宇宙はいかに始まったのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
ビッグバン理論の大きな問題点
宇宙のインフレーションを説明する理論模型(学説)が特定されていない段階にもかかわらず、研究者たちはなぜインフレーションを信じているのでしょうか。
それは、ビッグバン理論には大きな問題点がいくつか存在し、宇宙のインフレーションがそれを解決する方法を提供してくれるからです。
まず、その大きな問題点について順に説明します。
(1)地平線問題
地球に住んでいる我々にとって、高い建物や高い山に登っても、地球が丸いため、地球の裏側を直接見ることはできません。
実は、宇宙が誕生してから有限時間しか経過していないため、我々が宇宙の全体を見ることは不可能なのです。有限時間内では、光は有限の距離しか到達できないからです。この限界を「地平線」とよびます。もちろん、日常生活で用いる地平線とは異なる意味ですが、そこからの転用です。
宇宙の地平線が存在する理由は、光速が物質の速度の上限だからです。地球を例にしてみましょう。地上の観測者から見て、東の果ての地平線と西の果ての地平線を比べてみます。たとえば、高知市の人にとって、南の果ては太平洋の水平線であり、北の果ては陸地である四国山地です。
宇宙の場合、どの方向の見え方もほとんど同じなのです。現在のところ、宇宙の最遠方から来る情報は、宇宙マイクロ波背景放射です。
宇宙マイクロ波背景放射が等方的である理由?
くわしく言うと、この宇宙マイクロ波背景放射は、宇宙ではじめて中性の水素原子が誕生した痕跡です。そのため、ビッグバン宇宙論の証拠です。
ビッグバン以前の宇宙はさらに高温だったため、電子は陽子と結合することなく自由に動き回っていました。その自由な電子が陽子と結合して、よく知られた水素原子ができる反応において、電磁波が放出されます。その電磁波が、宇宙の膨張の結果、マイクロ波での背景放射として現在の宇宙を満たしているのです。
マイクロ波背景放射は、非常によい精度で等方的です。ここでの等方的とは、どの方向からの電磁波でも強度が同じだという意味です。
いま我々に届くマイクロ波背景放射の強度がどの方向でも同じだということは、その放射が行われた時点(時刻と場所)での電子と陽子の単位体積あたりの個数(数密度)および温度が、宇宙のまったく離れた場所にもかかわらず、偶然にも同じだったことになります。
ここで重要な点は、その離れた2点は、当時の宇宙での同一の地平線内に存在しなかったことです。地上でたとえると、日本とブラジルのようなものです。互いを同時に直接見ることはできません。
このように因果的に関係がないはずの宇宙の2つの地点における物質の数密度と温度が同じであることは、通常のビッグバン理論を用いて説明できません。あくまで、マイクロ波背景放射の観測結果に過ぎません。
(2)平坦性問題
以前の記事で紹介した「フリードマン方程式」は、宇宙の膨張や収縮を数学的に予言するものです。これを調べると、宇宙の空間曲率は一定で、それは3通りに限られることが証明されています。
ここでは、我々の宇宙はじゅうぶん大きなスケールでは、場所によらず、方向にも依存しないとします。これを「一様・等方の仮定」といいます。少し難しい言葉が出てきました。まず、「空間曲率が一定である」ことの意味は、空間の曲がり具合が場所によらずに一定だということです。たとえば、球の表面やまっすぐなストローの表面の曲がり具合は、面の上の場所の選び方に依存しません。この場合、曲率が一定です。
一方、ラグビーのボールの表面の曲がり具合は一定ではありません。フリードマン方程式における宇宙の空間曲率は一定ですが、その「一定な値」は宇宙の膨張(あるいは収縮)とともに変化してかまいません。つまり、その値は場所によらない定数ですが、時間の関数であってよいという意味です。
空間曲率がゼロの場合は、空間が曲がっていない場合です。この場合、時空の空間部分は、1章でふれたユークリッド幾何学で記述されます。
空間曲率が正の場合というのは、丸い風船の表面を思い起こしてください。空気を吹き込んで風船を膨らませると、風船表面の曲がり具合が穏やかになります。つまり、曲率は小さくなります。同様に、空間曲率が正の宇宙が膨張すれば、その空間曲率は小さくなります。
空間曲率が負の場合は、我々の身の回りの例えで表現するのが困難です。強いて言えば、BS放送を受信するためのパラボラアンテナの放物面をイメージしてください。この負曲率の宇宙の場合も、宇宙の膨張によって、曲率の値は変化し、徐々に小さくなります。
現在までの天文観測の結果、我々の宇宙の曲率の値は限りなくゼロに近いことが判明しています。ビッグバン宇宙理論のもとでは、フリードマン方程式を用いることで、曲率の値の変化の方が、物質密度の変化よりも桁違いに大きいことを示せます。ということは、現在のほぼゼロに近い曲率の値を実現するためには、宇宙初期に非常に小さな値を曲率に選ばないといけません。こんなに小さな値を要請することは、理論的に考えると不自然なのです。
(3)残存物問題
小林・益川理論が記述するよりも高エネルギーでミクロな世界を記述する物理理論の模型として、大統一理論などがあります。大統一理論については、以降の記事でくわしく見ていくことにしますが、これらの理論は、磁気モノポール(磁気単極子)、グラビティーノ(重力微子)などの存在を予言します。
我々が知っている磁石は、N極とS極からなり、2つの極をもちます。これを磁気ダイポール(磁気双極子)といいます。モノポールは極が1つしかないもののことです。また、グラビティーノは重力を与えるとされている素粒子「グラビトン」とペアとなる素粒子です。
宇宙初期にこれらの粒子が生成され、それらが大量に残存すれば、ビッグバン宇宙の時期における元素合成などに影響してしまい、現在の宇宙で観測される水素、ヘリウム、リチウムなどの元素の存在比率をビッグバン理論が再現できなくなってしまいます。
さらに、磁気モノポールもグラビティーノも未発見です。仮に存在しても、これらは宇宙における個数が少なくなければなりません。
(4)初期揺らぎの起源問題
現在観測される宇宙には、恒星、銀河、銀河団などの天体が多様な階層構造をなして分布しています。
これらの天体の形成、そして分布の原因は、時間を遡れば、宇宙初期での物質の密度が完全に一定ではなく、空間的に揺らいでいたからです。しかし、ビッグバン宇宙模型は、この宇宙初期での密度の揺らぎを説明しません。
「ビッグバン理論」ではこのような問題点が残ります。以降の記事では、これらのビッグバン理論の問題点が、宇宙のインフレーション(急激な膨張)によってどう解決されるのかを見ていくことにしましょう。