ロシア国民からも湧きあがる民主化議論 地政学の新展開(wedge ONLINE 2023年1月28日)
西村六善 (元外務省欧亜局長)
周知の通り、ロシアの民主化に向けて既に運動が始まっている。政治犯として服役中のアレクセイ・ナワリヌイ氏はワシントンポスト紙に投稿し、「ロシアは議会制民主主義を実現し、今までの権威主義を止め、問題を生むのではなく、問題を解決する良き隣人になるべきだ」と論じた(「Alexei Navalny: This is what a post-Putin Russia should look like」September 30, 2022)。
今回、世界的な人権活動家として知られるチェスの元世界チャンピオンであるガルリ・カスパロフ氏と政治犯罪者として英国に亡命中のロシアの大富豪ミハイル・ホドコルスキー氏が連名で2023年1月のフォーリン・アフェアーズ誌で論じた議論(「Don’t Fear Putin’s Demise Victory for Ukraine, Democracy for Russia」By Garry Kasparov and Mikhail Khodorkovsky, January 20, 2023)は注目に値する。
2023年ロシアは民主化する?
彼らはプーチン政権の全体主義を拒否する「ロシア行動委員会」の名の下でおよそ次のように論じている。ウクライナ戦争でプーチン政権はいずれ近いうちに崩壊する、プーチン以降のロシアは議会制連邦共和国に移行する――。
ウクライナは国際的に認められた1991年当時の領土を回復し、プーチンの侵略によって生じた損害を正当に補償され、すべての戦争犯罪者に責任を取らせると論じている。そしてロシアを「ならず者独裁国家」から議会制連邦共和国に変身させるとしている。
彼らは更に、「米国はプーチン支配の終焉は核武装したロシアが混乱に陥ることになり、中国が強大化すると恐れているが、それは間違いだ。プーチン支配の継続こそ、その危険が増大する。むしろウクライナの勝利とロシアの民主化こそが世界中で民主主義の大義を後押しすることになるのだ」と議論を展開している。
この二人の議論の重要な論点は1991年の国境線は国際的に認められたものだとして、その維持を前提としているところだ。そして、プーチン大統領の「失われたロシア帝国の再建」の試みは失敗する運命にあり、民主主義への移行と地方への権力委譲の機は熟している。従って何よりも大統領がウクライナで軍事的に敗北することが必要だと論じている。
この論考は、「法の支配、連邦制、議会制、明確な三権分立を目指し、抽象的な『国益』よりも人権と自由を優先する」という原則のもとに、ロシア国家の再生を目指す青写真を描きだしている。「私たちのビジョンは、ロシアが議会制共和国であり、中央政府には外交・防衛と国民の権利の保護に必要な権限だけを残し、それ以外の統治権限は地方政府に移管する。ロシアはそういう連邦国家となる」と論じている。
更に、プーチン政権が崩壊して2年以内に、ロシアは小選挙区制を採用し、新しい憲法を採択し、新しい地方機関のシステムを決定する。しかし、短期的にはその前に、立法権を持つ暫定的な国家評議会が必要であり、それが臨時のテクノクラート政府を監督する必要がある。その核となるのは、法の支配にコミットするロシア人だとし、ロシア新政府はプーチン派を排除し、迅速に行動し、西側諸国と協力して経済の安定化を図るとしている。
国家評議会はウクライナと和平協定を結び、91年の国境を認め、プーチンの戦争による損害を正当に補償する。また、旧ソ連諸国の親プーチン派に対する支援を停止するなど、ロシア内外でプーチン政権の帝国主義的な政策を正式に否定する。そして、ロシアが長年続けてきた西側との対立を終わらせ、代わりに平和、パートナーシップ、欧州・大西洋制度への統合に基づく外交政策に移行するとしている。
ユーラシア地政学上の重要な展開
この論考の重要な点はロシアが民主化する時、直面する根本的な問題を抉り出し、ユーラシアの地政学的見地からロシアにとって正しい方向性を示そうとしていることだ。どういうことか?
仮にロシアが今回のウクライナ侵攻を契機にして、内部的な大混乱に陥れば、隣接する大国中国や多くの民族共和国などが自己利益推進のため行動を起こすことは目に見えている。周知の通り、中国は「極東の中国領150万平方キロが、不平等条約によって帝政ロシアに奪われた」と理解している。
中国はある日突然、ウラジオストクを「中国固有の領土」として返還を要求しかねないのだ。多くの非スラブ自治共和国もその混乱に乗ずる可能性がある。そうなると、ユーラシア全体が名状しがたい大混乱に陥る危険がある。
この論文はその危険を完全に察知していて、正直にこう論じている。「プーチンの軍事的敗北の後、ロシアは中国の属国となるのか、それともヨーロッパとの再統合を目指すのかを選ばなければならない」。そして「大多数のロシア人にとって、平和、自由、繁栄を選択することは自明である」と。
そして、民主化するロシアはウクライナと共にヨーロッパの一部となって平和と自由と繁栄を選択するべきだと明快に述べている。これは91年のソ連崩壊後の国境が国際的に承認されていることを確認しつつ、ロシアと云う国全体の地理的継続性を維持し、それを欧州社会に統合し、民主的繁栄を確保する姿勢を表したものだ。ユーラシア地政学上の非常に重要な展開を目指している。
このフォーリン・アフェアーズ誌の論考が論じている「限定的な中央集権と強力な地方政府」の具体的内容はこれから議論されて行くだろう。しかし、非常に重要なことはこの提案が、ロシアの現在の地理的一体性を維持しながら民主化し欧州社会に統合して行くと云う方向性を明白に打ち出していることだ。
二人の著者は問題の本質を正しく理解し、国としての一体性を堅持して民主化を図ろうとしていることだけは明らかだ。要するに、ロシア人は自分たちが正しく行動しなければ、中国がユーラシアで勢力を伸ばす可能性があることを明確に意識しているのだ。
ロシアの民主化が生み出す地政学上の地殻変動
まず何よりも、ロシアが民主主義の価値体系の下で行動し始めれば、北大西洋条約機構(NATO)との関係は根本的に変化する。ロシアは極東ロシアを含めて欧州民主主義圏の一員となる。
このようにして、ロシアはNATOの敵対国でなくなるので在欧米軍などはアジア太平洋地域に移動できるようになるだろう。西側の安全保障上の基本構造が変わることになる。日本自体の安全保障の上でも大きな前向きの展開だ。
その上、民主化するロシアは中露専制強硬同盟から離脱するので、中国は地球上で唯一の強硬専制国家と云うことになる。国連の安保理事会でも常任理事国ロシアはその行動を一変させるので、国際政治の議論と雰囲気は一変する。さらに多くの変化が生まれてくるに違いない。地政学的には殆ど歴史的な地殻変動と云うべき事態が生まれてくる。
ロシアが議会制連邦共和国として西欧社会の一部になろうとするなら、西側諸国全体で民主ロシアを全面的に支援するだろう。それは西側には過去への強い反省があるからだ。
ソ連崩壊当時、西側はロシアの民主化を支援する行動を取らなかったのだ。米国内の冷戦思考が災いしたためだ。
連合国側が第二次大戦後ドイツと日本の民主化には大きな資源を投入したのとは大きな違いだった。これがロシアにプーチン的な独裁を生んだという有力な議論がある。
この反省もあって、今日の欧米ではロシアが民主化するなら全面的に支援しようとするモメンタムが非常に強くなっている。欧州では欧州の繁栄はロシアの繁栄と表裏一体と云う観念が横溢している。それが大きなダイナミズムを生み出す気配である。当然日本は隣国としてロシアの民主化とその経済的発展に大規模に支援をしていくべきだ。
しかし本当にロシアは民主化するのか?
勿論ロシアの将来、特に民主化の可能性について、楽観視は禁物だ。プーチン政権の専制が20年も続いた。この国の専制の歴史は長い。ロシアの民主化は簡単ではない。
何よりも国の地理的な図体が大きく、民族や文化も多様だ。統治するにも余程しっかりした価値体系と指導力が無ければ上手く行かないだろう。中国などと渡り合う時は特にそうだ。
この関係では西側諸国間の意見調整とロシアへの協力も大切だ。ロシアが歴史的な方向転換を図るにしても、西側諸国は上手に且つ賢明に協力する必要がある。その為には、西側諸国の政策当局者がよく話し合わなければならない。何が有効なアプローチかを議論していく必要がある。
しかし今やロシアの民主化は勿論可能だとする議論は非常に数多くある。今回のこの著名な二人のロシア人の論考はロシア社会に広く流れている強い願望、帝政時代から苦難に苦難を重ねてきたロシア人の心の奥底にある強い願望、発言を封ぜられてきたロシア人の心の叫びとでもいうべきものを文字にしたものだ。
外ならぬ「フォーリン・アフェアーズ誌」はそこを理解してこの記事を世界中に発信した。そう受け止めたい。
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西村六善 (にしむら・むつよし)
元外務省欧亜局長
1940年札幌市生まれ。99年の経済協力開発機構(OECD)大使時代より気候変動問題に関与、2005年気候変動担当大使、07年内閣官房参与(地球温暖化問題担当)などを歴任。
[執筆記事]
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