安倍晋三氏の「国葬」に反対します~功罪を検証する機会まで葬るな 国葬は「民主主義を守り抜く」ことにつながらない(論座 2022年07月16日)
田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻
安倍晋三氏が殺された。もちろん、殺されていい命など存在しない。政治を変革するためなのか、個人的な恨みを晴らすためなのかはともかく、その手段として殺人行為が用いられる社会を筆者は決して望まない。
岸田文雄首相は、7月14日の記者会見において、安倍氏の「国葬」を行う方針を示した。会見において岸田首相は、「憲政史上最長の8年8カ月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために、内閣総理大臣の重責を担った」安倍氏の国葬を営むことを通じて、「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と強調した。
しかし、安倍氏の「国葬」を行うことの一体どこが民主主義に資するのだろうか。甚だ疑問だと言わざるを得ない。「国葬」はむしろ、安倍氏が行ってきたことに対する批判を封じ、自由な言論を基礎とする民主主義を損なうおそれがある。
安倍晋三氏に対する「国葬」に反対の意を表したい。
半世紀ぶりの、法的根拠なき「国葬」
そもそも、総理大臣経験者の「国葬」には明文の法的根拠がない。戦前には、国葬令に基づき岩倉具視、伊藤博文、西園寺公望、山本五十六ら二十人の国葬があった。しかし国葬令は、新憲法施行の際に、「現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」の第1条の規定によって1947年12月31日で失効している。
戦後、首相経験者の「国葬」が執り行われた事例は、吉田茂以外に存在しない。法律に規定がないまま1967年に行われた吉田の「国葬」に対しては、疑問を呈する声が相次いだ。たとえば、当時日本社会党の書記長であった山本幸一は、「社会党は意思表示はしない」としたうえで次のような個人的見解を述べている。
国葬ということは戦後初めてのことだし、国葬にするならまず国会の議決を求めるべきだ。緊急の場合は議院運営委員会の議決でもよいと思う。いずれにしろ閣議決定だけで決めることは適当でないと思う。(注1)
また、以下は、労働組合の全国的中央組織であった総評の岩井章事務局長の談話である。
吉田茂氏がなくなったことについて国民の中で哀悼の意を表するものがあっても、それは各人の自由だが、国葬という法令にもない形式で国民全体を強制的に喪に服させることは行過ぎであり、賛成できない。(注2)
このように、労働組合や野党からは、法令に則らない「国葬」について疑義を呈する声が相次いだ。その結果、吉田の死後は「国葬」は行われておらず、1975年の佐藤栄作の内閣・自民党・国民有志による「国民葬」、1988年の三木武夫の内閣・衆議院合同葬などを除き、内閣・自民党合同葬の形態が慣例化した。
どれだけの「血税」が使われるのか
「国葬」になると、全額の経費が血税から支出される。一体、経費はどれくらいになるのか。
参考までに、2020年に亡くなった中曽根康弘氏の場合、葬儀費用は約1億9300万円にも上り、政府と自民党が折半し、政府は約9650万円を政府予備費から支出したという(注3)。今回の「国葬」がどれほどの規模のものになるかはまだ不透明だ。しかし、中曽根氏の葬儀が2020年のコロナ禍の只中であったことや、今回の葬儀が合同葬ではなく「国葬」で、なおかつホテルではなく日本武道館で調整されていること(注4)に鑑みると、大きく上回る経費がかかる可能性も十二分にあり得る。
物価高にあえぐ市民が多いなか、今回、なぜわざわざ慣例を破ってまで「国葬」を行うのか。そもそも「国葬」を執り行うことと「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」ことに、どのような関係性があるのか。慣例の合同葬では、「民主主義を守り抜く」ことができないのだろうか。政府は、これらの素朴な疑問に対して、説明責任を果たす必要がある。
「業績」を称えるマスメディア、奪われた命
看過できないのは、マスメディア等で、安倍政権の「業績」を一方的に称える言説が氾濫していることである。
周知の通り、安倍政権や、「安倍政権が進めてきた取組をしっかり継承する」と明言した菅政権のもとで何人もの人たちの尊厳が傷つけられ、命が奪われた。例をあげれば、枚挙にいとまがない。
森友学園への国有地売却を巡って財務省の決裁文書改竄を苦に自殺した近畿財務局の赤木俊夫さん。ウィシュマさんら入管施設で収容中に衰弱、死亡した複数の「外国人」。ヘイトクライムによって殺された路上生活者の女性。米軍属に強姦され殺害された沖縄の20歳の女性。人間としての真っ当な扱いを受けていない技能実習生……。
もちろん、森友事件に直接的にかかわり命を絶った赤木さんの「死」に比べて、ヘイトクライムや沖縄における「死」と安倍政権の関わりは間接的なものである。しかし、そこにも安倍政権の政策的不作為があったことは、ここで改めて表明しておかなければならない。安倍政権は、基地撤去や日米地位協定の見直しに向けた努力を怠り、あろうことか県民の民意を踏みにじり辺野古新基地建設の土砂投入を強行してしまった。
また、やまゆり園殺傷事件を起こした植松聖死刑確定者は、事件前、衆議院議長大島理森宛に「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。(…中略…)是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います」と記した文章を送付した。「障害者は不幸を生むだけ」との主張に、当時の安倍首相は優生思想を否定する明確なメッセージを出さなかった。
「こんな人たち」のせいにしたいのか
このように、ないがしろにされてきた命に対して、真相究明を求めたり、政権の責任を問うたりする声は相次いだ。しかし少なくとも筆者の眼には、安倍氏はそうした声に真摯に向き合ってこなかったように映る。
象徴的なのは、安倍氏が街頭演説中に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、政権に異議申し立てをする市民に対して、気色ばんだ出来事である。小さな日章旗を振りながら、支持者たちは「そうだ」と応えた。
ある元与党議員は、民放のテレビ番組において今回の事件を受けて「『安倍辞めろ』とプラカードを掲げていた人たちを警察が排除した」事案が裁判で負けたため、「警察が思うように警備できなくなった背景もある」という趣旨の見解を示したという。不十分な警備の責任すら、「こんな人たち」のせいにしたいのだろうか――。
法的根拠が不明な「国葬」が強行されれば、安倍氏によって「こんな人たち」と切り捨てられた人たちや、安倍氏の死を悼めない、悼みたくない人たちが、「非国民」のように扱われるのではないか。マジョリティが、マイノリティを「こんな人たち」として排除する動きが加速してしまうのではないか。強い危機感を覚える。
安倍氏を「神格化」する国葬の強行
もちろん筆者は、安倍晋三氏の死を安易に「因果応報」だと論じたいわけではない。しかし「国葬」が強行されれば、「志半ばで不条理な死を迎えた偉大な政治家」「民主主義の体現者」として安倍氏を神格化する評価が固定化される可能性が高い。
安倍氏の生命と共に、教育基本法改正や、安保法案、共謀罪、特定秘密法などの政策が何をもたらしたのかについてや、使い道を追えない12兆円余りの「コロナ予備費」(注5)、森友・加計・桜などの疑惑を丁寧に検証する機会まで葬り去ってはならない。
安倍晋三氏の「国葬」に反対する。
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【注】
(1)「朝日新聞」1967年10月22日夕刊、2面。
(2)「朝日新聞」1967年10月30日夕刊、1面。
(3)「公費負担9650万円波紋 最高額に賛否交錯 17日の中曽根元首相合同葬」(西日本新聞)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/651013/
更新日:2020年10月4日 閲覧日:2022年7月15日。
(4)「【独自】安倍元総理の国葬「9月に日本武道館」開催で調整 全額国費を想定 政府関係者」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4310037a1ce1e9751780fe65b4ad3eb75434d351
更新日:2022年7月14日 閲覧日:2022年7月15日。
(5)「コロナ予備費12兆円、使途9割追えず 透明性課題」(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA143WV0U2A410C2000000/
更新日:2022年4月22日 閲覧日:2022年7月15日。
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【筆者】
田中駿介(たなかしゅんすけ) 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻
1997年、北海道旭川市生まれ。かつて「土人部落」と呼ばれた地で中学時代を過ごし、社会問題に目覚める。高校時代、政治について考える勉強合宿を企画。専攻は政治学。慶大「小泉信三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞。twitter: @tanakashunsuk