ニクソン訪中に否定的見解 昭和天皇「問題解決、容易でない」…初外遊アラスカ会談、全容判明

歓迎式典であいさつする昭和天皇(左から2人目)。左端は香淳皇后、右はニクソン大統領夫妻=1971年9月26日、米アラスカ州アンカレジ 政治・経済

ニクソン訪中に否定的見解 昭和天皇「問題解決、容易でない」―初外遊アラスカ会談、全容判明(時事通信 2025年02月11日07時25分配信)

昭和天皇が1971年9月、在位中初の外遊となった欧州7カ国歴訪に当たり給油のため立ち寄った米アラスカ州アンカレジで、ニクソン大統領と会談した際のやりとりの全容が10日、判明した。ニクソン氏が翌72年5月までに行う予定だった自身の中国訪問の意義を強調したのに対し、昭和天皇は「実際の諸問題はそう簡単には解決しないだろう」と述べ、否定的反応を示していた。(肩書は当時)

ニクソン大統領図書館(米カリフォルニア州)が、会談内容をまとめた米国家安全保障会議(NSC)の覚書の機密指定を解除し、公開した。2人の会談の詳細が公文書で明らかになるのは初めて。

ニクソン氏は訪中という日米関係に重大な影響を与える懸案について説明し、昭和天皇も台湾問題などを念頭に自らの立場を示唆していたことになる。天皇の「政治からの隔離」を原則とする象徴天皇制下の皇室外交の在り方を巡る議論に、一石を投じる史料と言えそうだ。

覚書によると、ニクソン氏は中国に関し「勤勉な人口を抱え、進歩を遂げており、いつまでもこのまま無視することはできない。対話を始めるために北京を訪問する予定だ」と伝達。訪中は東アジアの平和維持のために重要だと指摘した。

覚書は昭和天皇の返答について「『理論上は』趣旨に同意することを表明したが、実際の諸問題はそう簡単には解決しないだろうと感情を込めて警告した(cautioned with animation)」と記した。

これを受けニクソン氏は「訪中は米国と日本の関係を犠牲にするものではない」と確約。昭和天皇は「米国との関係が強化されることを望んでいる」と応じた。訪中は72年2月に実現した。

会談は現地時間の71年9月26日夜、アラスカ州アンカレジのエルメンドルフ空軍基地で行われた。これまでに公開された別の外交文書などによれば、昭和天皇とニクソン氏は基地内の司令官公邸で約20分間、通訳だけを伴い会話を交わした。昭和天皇のアラスカ滞在時間は2時間に満たず、この後最初の訪問先であるデンマークに向かった。

米NSC文書全文 天皇ニクソン会談(1)
米NSC文書全文 天皇ニクソン会談(2)・完