石破政権は「手取りを増やす政策」に飛びついていいのか 慶大・小林慶一郎教授が危惧する「少数与党」が陥る経済政策の“弱点”

小林慶一郎・慶大教授 政治・経済

石破政権は「手取りを増やす政策」に飛びついていいのか 慶大・小林慶一郎教授が危惧する「少数与党」が陥る経済政策の“弱点”(デイリー新潮 2025年01月01日)

岸田文雄前首相から政権を引き継いだ石破茂首相は当初、金融所得課税などを提唱するなど、財政緊縮派と見られていた。ところが、衆院選の大敗を経て、編成された補正予算ではキャスティングボートを握ることになった国民民主党の政策も取り入れ、総額13.9兆円 にも上った。2025年度予算案では政権の命運をかけた与野党の攻防が予想され、さらなる膨張予算が組まれる可能性がある。果たしてそれでいいのか、石破政権による経済政策の是非を小林慶一郎・慶應大学教授が語る。

膨らんだ予算を縮小するのは難しい

新型コロナウイルスが流行した2020年、生活費を支えるために一人当たり10万円の給付金を配ったことには一定の意味がありました。所得制限するのが理想でしたが、時間的余裕もなかった。その後の3年はGDPギャップ(日本経済の総需要と供給力の乖離)が開き、需要不足、供給過剰の状態だったので、財政出動してそのギャップを穴埋めするのはもっともなことだったと思います。

ところが、コロナ禍が明け、2024年を通してみると、かつてに比べればGDPギャップは埋まりつつある。つまり、今までの規模の景気対策は必要ないと言えるのです。

しかも、いまはインフレで物価が上昇しているのに賃金が上がらず、国民生活が圧迫されています。ここで財政出動を行うと個人の消費が増え、需要が過熱していくことになる。するとさらなるインフレを招きかねず、財政出動によって「手取り」は増えても、それ以上に物価が上がれば、国民生活はもっと苦しくなるかもしれません。また、日本銀行が物価を抑えようと、金利を上げていく金融政策とも矛盾する。結果的に13.9兆円もの補正予算の経済効果は薄くなるのではないでしょうか。

ただ、いまの政権は少数与党になり、政治的に弱くなってしまっている。目先の効果を重視した「手取りを増やす」政策に流れやすく、そこは与党も野党も長期的な視点に立って政策論議を行ってほしい。

膨らんだ予算を縮小するのが 難しいことは「パーキンソンの法則」からも分かります。この法則は官僚組織を研究したイギリスの政治学者であるシリル・ノースコート・パーキンソンが提唱した言葉で、人は時間的、金銭的資源をある分だけ使い切ってしまう。予算を含め、組織というものは拡大する方向に流れやすいのです。

さらに、日本の特殊な状況も指摘できます。2016年以降、日銀による異次元緩和政策により、長期金利がゼロ近傍にあったわけで、政府債務は借り換えていくほど、金利が低くなる状態にありました。国は毎年赤字国債を発行して新たな借り入れをしているのに、金利が低く抑えられていたので、政府債務残高の対GDP比率は、高止まりしているものの、ほとんど増えてきませんでした。そのため、国会議員の財政に対しての危機感も薄くなっています。

財政の問題は「世代間のライフボートジレンマ」

今後、日銀が利上げしていくことで、短期金利が1%程度まで上がることは容易に考えられます。すると、長期金利も1~2%まで上がる可能性がある。その状況で財政出動をし続けると、政府の債務はこれまでよりも加速度的に増えていくことになります。これまでのような“財政出動をしても大丈夫だ”という国会議員や国民の感覚は徐々に修正されていくのではないかと思います。

昨今、来年のプライマリーバランス(PB)が黒字化されると報じられています。それに応じて財政出動をして構わないのだ、という意見があるかもしれません。しかし、国民民主党が主張している基礎控除等引き上げは事実上、恒久的な減税措置です。インフレによる税収の上振れは一時的なものですから、恒久的な措置と一時的な増収を並べて論じるのは、リスキーな議論だと言えます。そもそも、目的はPBが将来にわたって安定的に黒字化していくことです。そこに実質的な減税を行えば、来年黒字になっても再来年は赤字になるという事態になる可能性もあります。当然、それは日本の財政にはネガティブな効果をもたらします。

いまの「手取りを増やす」という国民民主党の政策的アピールは、短期的な利益に国民の注意を集中させようとしているだけのように見えます。それは政治家の姿勢として適切なのでしょうか。

財政の問題は「世代間のライフボートジレンマ」だということに本質があります。数人が乗っている救命ボートが転覆しかかっている中で、一人が海に飛び込めば、そのボートは助かるが、全員がボートにしがみつけば、ボートごと転覆する。財政も同じです。現役世代が自己犠牲の精神でコストを払って財政を再建すれば、将来世代は恩恵を受けられるが、現役世代は何も利益を得ることができない。現役世代の利他性、自己犠牲精神が薄ければ、将来世代が財政膨張のコストを支払うことになります。

いまの政治は「不確実」になっています。この先、石破政権はどうなるかわからない、自民党がどうなるかわからない、与野党の力関係もこの先どうなるかわからない。そうすると、現役世代は将来世代の利益ではなく、直近の利益に飛びつきやすくなる。すると「手取りを増やす」政策が支持を得ることになる。

財務省が手頃な批判対象に

政治が不確実であったとしても、将来的にかかる「コスト」を政治家や政府が国民向けに発信することは重要です。

かつてそういう役割を担っていた財務省がいま“ザイム真理教”などと呼ばれ、手ごろな批判対象となり、風当たりが強い。いまは財務省がいくら反論をしても、なかなか国民には理解されないでしょう。

今後は財務省に代わって中立的な組織がそうした情報を発信していくことが望ましい。既存の省庁が難しいのであれば、政府から独立した財政予測機関を作って、そこが30年先、50年先の日本の財政の先行きについて、国民や政治家に示していくのは意味があることではないでしょうか。

そうした組織を作るのにヒントになるのが「フューチャー・デザイン」という考え方です。政策を論じる立場の人が「未来人」になりきり、将来世代の利益を考えて議論するというもの。岩手県矢巾町では、町内インフラ整備においてこの考え方を取り入れ、水道料金の値上げに踏み切りました。今後、数十年の町政を考えると、いまの料金は低すぎる、という意思決定ができた。国の財政も40年先、50年先までを見通せば、いまの財政を慎重に運用しないといけない、という風に考えが変わるはずです。先に触れた財政予測機関は将来世代の立場に立った長期の視点を与えうる。

2025年、石破政権は何に 取り組むべきか。財政予測機関を創設しようという議論になればいいですが、そうでなくとも、来る2025年度本予算を組んだ結果、数十年先までの長期の財政にどう影響するのか、をきちんと国民に示していくことです。それはこれから生まれてくる「未来の国民」に責任を持つことでもあるのです。

小林 慶一郎 慶應義塾大学教授
1966年生まれ、東京大学大学院工学系研究科修了後, 通商産業省(現経済産業省)入省。一橋大学経済研究所を経て、2013年から現職。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、経済産業研究所ファカルティフェローなどを兼任。著書に『日本経済の罠』(共著、日本経済新聞出版)、『時間の経済学』(ミネルヴァ書房)『相対化する知性』(共著、日本評論社)『日本の経済政策-「失われた30年」をいかに克服するか』(中央公論新社)など。

デイリー新潮編集部