「なぜ日本の研究は遅れているのか」…ノーベル賞科学者・山中伸弥が教育現場にみる、日本とアメリカの絶望的なほどの「差」(現代ビジネス 2024.04.16)
山中 伸弥 京都大学iPS細胞研究所所長
羽生 善治
想像を絶する速度で進化を続けるAI。その存在は既存の価値観を破壊し、あらゆる分野に革命をもたらしている。人知を超えるその能力を前に、人類はどう立ち向かうべきなのか。
それぞれの分野の最先端を歩む“ノーベル賞科学者”山中伸弥と“史上最強棋士”羽生善治が人間とAIの本質を探る『人間の未来AIの未来』(山中伸弥・羽生善治著)より抜粋して、新時代の道標となる知見をお届けする。
『人間の未来AIの未来』連載第24回
『「知識が邪魔することもある」二人の天才が語る、無知であることが武器になる「納得の理由」【山中伸弥×羽生善治】』より続く
「居心地がいい」環境が危ない
山中 詰め込んでしまったほうが、実は安心ですからね。これは今の教育の現場全体に言えることだと思うんです。
今、アジアはどこもそうかもしれないですけど、日本はまず受験というハードルがあるでしょう。幼稚園に入る時、小学校に入る時、中学受験、高校受験、大学受験。幼少期から、ともかく問いに対して正解を出すトレーニングを受けていますよね。教科書に書いてあること、先生の言うことは絶対正しくて、その通りに答えたらマルだし、そこに逆らったらペケ。それで点数が取れなかったら、希望の大学に入れない、そういうトレーニングを受けています。
だから失敗を経験することなく、教科書に書いてあることをそのまま答えたら目的の大学に入れるという環境で育ってきた子が大半です。そんな子がいきなり研究の世界に入ってきて、「教科書に書いてあること、先生の言うことは信じるな」とか、「実験結果で予想外のことが起こった時こそチャンスだ」とか言われても、それは簡単には受け入れられないですよ。
羽生 もう考え方が染みついてしまっている。
日本とアメリカの「違い」
山中 僕は日本とアメリカの両方で研究してきましたけれども、アメリカの子供のほうが割とのびのびしていて自由なんですね。大学生になってからは、ものすごく勉強しなければならなくなる。でもそれまでは、スポーツに打ち込んだりする子供たちがけっこう多いですね。研究者という観点からそういう姿を見ると、日本に比べてアメリカのほうが有利なような気がします。
羽生 有利というのは、アメリカのほうが意外なことに直面したり、答えがないような場面を経験したりしている機会が多いということですか。
山中 そうですね。日本は、子供たちにとって居心地がいいところですよね。親や学校の先生から「こうしなさい」と言われたことをその通りやっていると、いわゆる「いい子」となり、ある意味、非常に生きやすい。逆にそこから外れると、すごくしんどい思いをして生きづらくなります。
それから最近は、大人が子供を叱ることを避ける傾向がありますね。昔に比べたら、親はほとんど子供を叱らない。学校でも叱る先生がいません。生徒や学生にかける言葉でさえ、一歩間違えたらパワハラ、アカハラと言われてしまう。叱ることを推奨しているわけではないけれども、子供たちは自分の考え方や行動様式を否定されないので、見方によっては新しい世界に踏み出す機会が失われているわけです。
教科書を否定する
山中 こういう経験があります。今、普通の自家用車でも、前方車両の速度に自動的に追従するといった機能がどんどんついていますよね。僕はそういう機能があると、すぐに使いたい(笑)。
料金所ETCのところに来ると、前方の車が時速2十キロくらいまでスピードを落としますよね。そうすると僕の車も自動的に減速します。減速はするけれども、普段の自分のタイミングよりも一歩遅れるんです。自分だったら、ここから減速するというタイミングで減速してくれない。それでぐっと我慢していると、ちょっと遅れて減速するんですけど、もう怖くて怖くて、ものすごく不快です。
そういうふうに、ずっと慣れ親しんできた自分の行動様式と違うことをするのは、頭では安全だとわかっていても、全身から不快さがこみ上げてくる。もし車が止まらなかったら大変なことになってしまうわけだから。だいたい止まりますけどね(笑)。
研究というのは、今ある教科書を否定します。他の人と違うことをやる、新しいことを発見する、というのは、結局、教科書の否定につながりますからね。ただ、僕は教科書の否定を推奨しているわけではないですよ。そもそも教科書をあまり知らないので(笑)。
羽生 いえいえ、そんなことは(笑)。
新しいアイデアを広げるために
山中 教科書を否定しているのではなくて、教科書を十分知った上で否定するのが、本来のやり方だと思います。結果的に「ああ、これは以前、教科書に書かれていたことと違っているな」と後からわかることのほうが多いです。
羽生 確かにそうですね。たとえば私も「若い人たちに何かメッセージをいただけませんか?」と聞かれることがあります。そんなときには「今まで自分がやったことがないとか、経験したことがないとか、そういう羅針盤が利かない状況に身を置くことが大事なのではないでしょうか」と答えることが多いんですね。
先ほどの車の運転の話もそうですけれども、今はどこへ行くのにも、カーナビはあるし、スマホさえ持っていれば、自分がどこにいるかが瞬時にわかります。いつも手元に地図と羅針盤があり、そういう意味では安心な状況です。
でもそうではなく、これまでの知識や経験が役に立たないような、カオスとまでは行かなくても、そうした状況に身を置いて自分で対応していくことが、新しい発想やアイデアを広げるのかなと思います。