「いま思えば、明らかな異常事態でした…」平成バブル崩壊から失われた30年までを追ってみた(幻冬舎 GOLD ONLINE 2022.11.13)
塚崎公義 経済評論家
平成のバブル経済が崩壊してから約30年が経過。あの「強い日本経済」を知らない成人も増えてきました。バブルのさなかはだれもが〈日本経済最強〉を信じ、将来にも明るい見通しを持っていましたが、いまとなっては大きく状況が異なっています。バブル崩壊から現在までの過程をまとめます。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。
「将来はバラ色」と誰もが信じたバブル時代
昭和の終わりから平成の初めにかけて、株価や地価が異常に高騰し、景気が非常によく、人々は日本経済の将来はバラ色だと考えていました。当然、自分の給料も上がっていくだろうと考えて、大いに贅沢を楽しんでいた人が多いわけです。
バブルの背景としては、1985年のプラザ合意を契機として大幅な円高になり、金融が大幅に緩和されたことが挙げられます。金利が下がり、銀行が融資に前向きになったので、借金をして不動産を買うことが容易になったわけです。皆が借金して不動産を買ったので不動産価格が上昇し、それを見た他の人々が「自分も借金をして不動産を買おう」と思うようになったのです。
もっとも、そうなるに至った背景があります。大幅な円高にもかかわらず輸出がそれほど落ち込まなかったことから人々が「日本経済は素晴らしい」と考えるようになったのです。「日本経済は、いままで思われていたより遥かに素晴らしいので、株価や地価が上がるのは当然だ」と考える人が増えたから地価等が上昇したわけです。
日本経済を動かすような人ですら、住宅を買い急ぎ…
バブル当時「株価や地価が高すぎるのではないか」という人は確かにいましたが、「今回はいままでとは事情が違うので、いまの地価や株価は高すぎない」という人も多かったのです。これは、バブル期の特徴のひとつです。バブルの後から振り返るとバブルが繰り返されただけなのに、その時点では「今回だけは事情が違う」といわれていたわけです。
実は、バブルには2種類あります。ひとつは、皆がバブルだと知りながら、「明日は今日より高くなるだろう」と考えた強欲な人々が買う、というバブルです。もっとも、最近ではそうしたバブルは政府が早めに潰すので、拡大することは稀でしょう。最近でいえば、ビットコイン等がそうだったかもしれませんが。
もうひとつが、バブルか否か皆がわかっていないバブルです。崩壊してみて、初めて皆がバブルだったと確信できる、というものです。
あとになってから平成バブル時の株価の動きなどを見ると、到底正常とは思われず、強欲な愚か者が買ったのだろう、と想像している若い人もいるでしょう。しかし、そうではなかったのです。
日本経済を動かしているような賢い人のなかにも「急いで買わないと自宅が買えなくなる」と考えてバブル当時に家を買った人が大勢いたようです。バブルだと思っていれば、バブル崩壊後の暴落した価格でゆっくり買えばいいのですから、そうした人はバブルだと思っていなかったのでしょうね。
バブルの後遺症は反動的な不況、そして金融危機
バブルは、政府日銀が潰しました。もっとも、バブルであるという確信があったわけでは無いでしょうし、証拠も無かったでしょうから、株高で喜んでいる人々を納得させる説明は難しかったのでしょう。
当時の説明は、「地価が上がりすぎて、サラリーマンがマイホームを持てなくなってしまった。地価を下げる必要がある」というものでした。
バブルの後遺症は、2段階で訪れました。第1段階は、好況の反動としての不況(山高ければ谷深し)で、第2段階は金融危機による不況です。
バブル期には、人々が贅沢をしていましたから、景気は絶好調でした。人々は日本経済の将来と自分の給料の将来の明るさを確信し、贅沢していたのです。その確信が崩れた時、人々は減ってしまった貯金が気になり、倹約するようになりました。加えて、すでに立派な車や家電などを持っていたので、新しく買う必要が無くなっていた、ということもありました。
企業も、大きな工場を建て、大勢の人を雇ったので、バブルが崩壊してから新しい工場を建てる企業は稀で、人員の採用も激減しました。当時就職戦線を戦った人々は「就職氷河期」などと呼ばれ、いまでも正社員になれていない人も多いようです。
第2段階は、金融危機でした。借金で不動産を買った投機家たちが地価の下落で借金返済に行き詰まったため、銀行は巨額の不良債権を抱えることになりました。それによって巨額の赤字に陥った銀行は、自己資本が減りました。
銀行には、自己資本比率規制というものがあります。大胆に簡略化すると「銀行は自己資本の12.5倍までしか融資をしてはならない」というものです。銀行の自己資本が減ると、貸していい上限金額が下がるので、融資を回収しなければならなくなるのです。
そこで、貸し渋り、貸し剥がし、などと言われるように、銀行が融資を絞るようになりました。それによって、材料代や給料が支払えずに倒産してしまった企業も多かったようです。
金融危機というと、大手金融機関が相次いで破綻した事件を思い出す人も多いでしょうが、景気という点では金融機関が倒産する前から貸し渋り等によって景気が大きな悪影響を受けていたわけです。
金融危機については、拙稿『中国、懸念される「金融危機」の問題…世界経済へ及ぼす影響を「過去の日本の金融危機」から考察』をあわせてご参照いただければ幸いです。
「質素に暮らそう」というマインドが景気回復の妨げに
結局、バブルの後遺症は10年以上続きましたが、それが終わっても日本経済は本格的には回復せず、失われた20年、30年、と呼ばれるようになったわけです。
その一因にはバブル期の反省から「質素に暮らそう」と考える人が増えて、需要が盛り上がらないことがあるのかもしれません。そうだとすると、じつは日本経済はいまだにバブル後遺症の第3期に苦しんでいる、ということなのかもしれませんね。
今回は以上です。なお、本稿はわかりやすさを優先していますので、細かい所について厳密にいえば不正確だ、という場合もあり得ます。ご理解いただければ幸いです。
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塚崎公義 経済評論家
1981年東京大学法学部卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。主に経済調査関連の仕事に従事したのち、2005年に退職して久留米大学へ。2022年4月に定年退職し、現在は経済評論家。
著書に、『老後破産しないためのお金の教科書―年金・資産運用・相続の基礎知識』『初心者のための経済指標の見方・読み方 景気の先を読む力が身につく』(以上、東洋経済新報社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)、『経済暴論』『一番わかりやすい日本経済入門』(以上、河出書房新社)、『退職金貧乏 定年後の「お金」の話』『なぜ、バブルは繰り返されるか?』『大学の常識は、世間の非常識』(以上、祥伝社)など多数。
趣味はFacebookとブログ。