古賀茂明×「原発をとめた裁判長」樋口英明の最終回特別対談! 私たちが「原発を止めるべきだ」と主張し続けているシンプルな理由

古賀茂明氏×「原発をとめた裁判長」樋口英明氏 科学・技術

古賀茂明×「原発をとめた裁判長」樋口英明の最終回特別対談! 私たちが「原発を止めるべきだ」と主張し続けているシンプルな理由(週プレNEWS 2022年09月07日)

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2012年1月開始の本連載はこれがラスト。古賀茂明氏が長期連載で主張し続けたのが「脱原発」です。そして福井地方裁判所の元裁判長・樋口英明氏は安全性の観点で全国的にごく少数の原発の差し止め判決を出したことで知られています。今も「原発は止めるべき」と訴えるふたりは、原発への警戒感が薄らぐ日本社会をどう見るか。じっくり語り合いました。

なぜ大飯原発を止めたのか

古賀茂明(以下、古賀) 樋口さんの著書『私が原発を止めた理由』(旬報社、21年3月刊)を読んで、感銘を受けました。原発の運転停止を命じた理由と聞くと、難解な科学的知見を総動員したものと考えがちですが、実際は中高校生でもわかるような平明な理由だった。だからこそ、なぜ原発が危ないのか、誰でもすんなりと理解できる。

樋口英明(以下、樋口) そうですね。私が原発の運転を止めないといけないと考えたのは、とても単純な理由からでした。

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2014年5月21日、福井地裁の裁判長だった樋口英明氏は、大飯(おおい)原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を下した。11年の福島第一原発事故後出された「初の」原発運転差し止め判決である。

この判決は原発がもたらす国富=経済的利益より「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富」(判決文より)であるとして、憲法13条が保障する「人格権」(生命や身体、自由など、個人が生活を営む上で他者から保護されるべき基本的人権のひとつ)を最優先し、原発の運転差し止めを命じた歴史的判決として知られる。

樋口氏は17年に定年を迎え退官。現在は、全国を行脚しながら原発の危険性を訴える講演活動などを続けている。

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古賀 この本で樋口さんは5段階のわかりやすい論理を説くことで、原発の再稼働は許されないと結論づけています。

①原発事故のもたらす被害は極めて甚大。

②それゆえに原発には高度の安全性が求められる。

③地震大国・日本において原発に高度の安全性があるということは、原発に高度の耐震性があるということにほかならない。

④わが国の原発の耐震性は極めて低い。

⑤よって、原発の運転は許されない。

あまりに明快なので、私はこの5項目を勝手に「樋口ドクトリン」と呼んであちこちで紹介しています(笑)。

樋口 講演などで話すと、聴衆の方は①~③までは頷(うなず)きながら聞くのですが、④の「原発の耐震性は低い」という項目になると「原発は頑丈なのでは?」と、怪訝(けげん)な表情をしますね。

古賀 私自身は原発は危ないと思っていましたが、その耐震性が一般住宅より低いということは初めて知りました。正直びっくり仰天でした。

樋口 原発ごとに予想される最大の揺れを「基準地震動」と呼び、地震の揺れの強さを示す加速度Gal(ガル)で表すのですが、既存の原発の基準地震動はおおむね600~1000Galほどです。

しかし、実際には、日本では1000Galを超えるような地震は今世紀だけで18回も起きていてまったく珍しくないし、過去には最高4022Galの揺れを記録したこともある。だからこそ、日本の住宅メーカーは家の耐震度を高めているんです。

例えば、三井ホームは5115Gal、住友林業も3406Galの揺れに耐える家を開発して販売しています。それに比べると、既存の原発の耐震性は低いと言わざるをえません。

古賀 ただ、樋口さんのように、「耐震性が低すぎるから原発を運転してはダメ」というシンプルな理由から、差し止めを命じた裁判官はいなかった。多くの裁判官は基準地震動をはじき出した難解な計算式の是非を判断することにのみ傾注してきました。

ただし、裁判官も地震学の専門家ではないから、その計算式が正しいのか間違っているのか、判断できない。そこで、「地震学の権威や原子力規制委員会が計算式は正しいと主張している以上、専門家でない判事が止めろとまでは言えない」と考え、当たり障りのない判断で逃げてしまう。

そんな判決が積み重なって先例となり、原発の運転差し止めを求める住民訴訟の敗訴が繰り返されてきたという印象です。

樋口 毎時100mmの雨や風速50メートルと聞けば、過去の気象データや実体験からだいたい想像がつく。でも、Galなどの揺れに関する数値は地震観測網が近年まで整備されてこなかったこともあって、裁判官も実感できない。だからこそ、難解な計算式を検討するほかなく、迷路に迷い込むしかなかった。

はっきり言って、過去の原発訴訟の多くは高度な「専門技術訴訟」に陥ってしまい、結果としてリアリティに欠ける裁判になってしまったと考えています。

古賀 樋口さんはこの本で、「リアリティ」とは「普通の質問をする力」と定義づけています。

樋口 難しい計算式ではなく、一般住宅より原発の耐震性がはるかに低いというシンプルな事実から、原発の安全性を問うことがリアリティなんです。

金銭絡みの裁判でも適切な判決を下すには金銭授受の有無から始まり、それは小切手だったのか、現金だったのか、借りる動機はなんだったのかなど、リアルな事実を細かく検証しないといけない。リアリティを欠く判決は一見、法律に沿ったように見えても実は空理空論なことが多い。原発裁判はその典型です。

古賀 それにしても、住宅の耐震度との比較から原発の危険性を浮かび上がらせようなんてアイデア、よくひらめきましたね。

樋口 実はネットで見たんです。ある日、たまたま三井ホームのサイトを見ていたら、「5000Gal以上の地震も大丈夫!」と宣伝していた。それを見た瞬間、「これは使える」と直感しました。

最高裁がつくるある「雰囲気」

古賀 裁判官は他者の指示や命令でなく、自己の判断によって判決を下す独立した存在です。しかし、原発訴訟ではおしなべて原発をストップさせたい住民側の敗訴が続いている。国や最高裁あたりから、何かしらの圧力みたいなものがあるんですか?

樋口 憲法で裁判官の独立は保障されており、その原則は国も最高裁も侵せません。だから、原発推進派に有利な結論を裁判官に押しつけるようなことは絶対にありません。ただ、「雰囲気づくり」のようなことはありますね。

古賀 雰囲気づくり?

樋口 ええ。最高裁が原発訴訟を担当する全国の裁判官を司法研修所に集めて「研究会」を開くんです。パネラーとして過去に原発訴訟を体験した裁判官、検察官、行政法の大学教授などが招かれ、参加者の前であれこれ論議をする。その議論の方向性というか、ムードがね……。

古賀 原発のプロである原子力規制委員会が作った安全規則を正面から間違っていると指摘することは難しいとか、原発が直ちに危険だと結論づけるのは拙速だとか、そんなムード?

樋口 ひと言で言うと、そのとおりです。実は私も「研究会」に招集されたことがあります。研究と言いながら、実際にはパネラーばかりが発言し、裁判官たちはそれを押し黙って聞いているだけ。

発言の内容も福島であれだけ大きな原発事故がありながら、その危険性をまったく感じていないようなものばかりで、「最高裁は原発再稼働の方向に判決を誘導したいのだろうか?」と感じざるをえませんでした。

古賀 そんな話、初めて聞きました。司法独立の気概はどうなっているのか、心配になってしまいます。

樋口 裁判官は自分の頭で考えなくなっているんです。独立の気概を持って真相解明に乗り出していくという姿勢がなくなっている。

厚労省が医師会や製薬会社などの利害の調整役になっているように、省庁の多くは既得権益集団の利害をコントロールするところですが、そうであればあるほど、裁判所は「人権擁護の最後の砦」として国民の側に立った司法判断を下さないといけない。

でも、その役目を果たせていない。国寄り、行政寄りの判断を下すことがクセというか、習い性になっている裁判官が少なくない。特に最高裁はその傾向が顕著です。

古賀 確かに地裁、高裁で脱原発を目指す原告が勝訴しても、最高裁でひっくり返され、原告敗訴になるケースが目立ちますね。福島原発事故で国と東京電力に損害賠償を求めた4つの訴訟でも、最高裁は6月17日に国の責任を認めた福島地裁、仙台高裁などの判断を覆し、「国の責任は問えない」と逆転判決を出しました。

樋口 とても最高裁が出した判決とは思えないひどいものでした。何しろ、津波襲来の予見性や地震の長期評価への信頼性といった裁判の重要な争点にすら、一切触れないんですから。これが最高裁判決かと思うと、情けなくなる法曹関係者は私だけではないでしょう。最高裁そのものが国寄りの判決を下すことが「習い性」になっていると考えるべきですね。

〝原発容認〟に抗うシンプルな理屈

古賀 9月10日から、樋口さんも出演するドキュメンタリー映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』が公開されます。退官後とはいえ、裁判官が担当した裁判について全国行脚して語ることすらかなり異例なことなのに、映画にまで出演するなんて前代未聞です。

樋口 そうでしょうね。私もそんな裁判官、見たことも聞いたこともありません(笑)。

古賀 出演することに躊躇はなかったんですか?

樋口 まったく。オファーされたその場で出演を快諾しました。退官後に著書や講演を通じて原発の危険性をお伝えしてきましたが、なかなか広がらない。本なんて読んでくれる人は本当にわずかです。

その点、映画ならもっと多くの人が劇場に足を運んでくれるだろうし、私の考えも視覚的に伝わるだろうと考え、出演を即決しました。

古賀 そうですね。これまで原発の新増設を「想定していない」としていた岸田政権が方針を転換し、新増設の検討に舵を切りました。ウクライナ戦争でロシア産天然ガスの供給が不安定になったヨーロッパで原発見直しの機運が高まっていることもあって、日本国内の世論も原発容認ムードになっています。

そんなときだからこそ、ぜひ、この映画を見てほしいですね。原発がいかに危ないシロモノか、よく理解できるはずですから。

樋口 原発の過酷事故は国家と国土の壊滅をもたらしかねません。原発がないとガスや電気代が高騰し、多大な経済的損失をもたらすという話とは次元が違うんです。次元の違う話を並べて天秤にかけてはいけません。

原発の差し止め訴訟の本質はすごくシンプルで簡明です。「原発敷地に限っては強い地震は起きない。だから、一般住宅よりも低い耐震度でもかまわない」という電力会社側の主張を信用するか、しないか、それだけ。

もちろん、そんなこと誰も信じられないでしょう。安全が担保されていない以上、原発は止めるしかない。この当たり前なことを映画で伝えることができればと願っています。

古賀 いまさらですが、電力需給が逼迫するのは11年3月に福島原発事故が起きたときに、脱原発の決断をできなかったからです。その決断をしていれば、再生可能エネルギーの普及や送電線網の整備が進み、電力不足に陥ることなどなかったはず。

ところが何もしなかったために、夏冬のほんの数日のピーク時に停電のリスクが生じる。今問われているのは、これを回避するために、安全でない原発を動かして事故が起きたときの日本壊滅にもつながりかねないリスクを取るのか、原発と決別し、再エネなどのイノベーションを活用して電力不足を克服する道を選ぶのか? 答えはすでに明らかでしょう。

●古賀茂明 
1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権(当時)と対立して11年に退官。『日本中枢の崩壊』(講談社文庫)、『官僚の責任』(PHP新書)、『日本を壊した霞が関の弱い人たち 新・官僚の責任』(集英社)、『官邸の暴走』(角川新書)など著書多数。ウェブサイト『DMMオンラインサロン』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中 

●樋口英明 
1952年生まれ、三重県出身。2006年4月より大阪高裁判事、09年4月より名古屋地家裁半田支部長、12年4月より福井地裁判事部総括判事を歴任。14年5月、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を下した。15年4月、原発周辺地域の住民ら9人の申し立てを認め、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定。17年8月、名古屋家裁部総括判事で定年退官。著書に『私が原発を止めた理由』(旬報社)

●ドキュメンタリー映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』 
9月10日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開予定 製作:河合弘之、小原浩靖監督・脚本:小原浩靖 上映時間:92分 
○2014年に関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁元裁判長は、地震が頻発する日本における原発の危険性を指摘する”樋口理論”の啓発のため、全国での活動を始めた。一方、福島では農業者・近藤恵氏が農地上で太陽光発電をするソーラーシェアリングに乗り出す。理論と不屈の魂をもって脱原発に挑む者たちを追ったドキュメンタリー ©Kプロジェクト