9月23日におこなわれた立憲民主党の代表選は、枝野幸男前代表との決選投票を制した野田佳彦元首相の勝利となったが、直前になって手を組んだ小沢一郎氏がキーパーソンになったと見る向きは多い。
「野田氏が所属する『花斉会』は10人ほどの小所帯です。一方、枝野氏が所属する『サンクチュアリ』は党内最大グループで、30人が名前を連ねます。そのため、決選投票になると、野田氏は厳しい戦いを強いられるとみられていました。
そこで野田氏は、“仇敵” とされた小沢氏と和解を果たしたのです。
小沢氏は、2012年、消費税率10%への引き上げを主張する野田内閣に反旗を翻して民主党(当時)を離党しており、それが民主党政権が瓦解するきっかけにもなりました。
一時は『もう、顔も見たくない』と言い放った野田氏だが、『恩讐を越えて政権をとりに行く』と宣言し、小沢氏の協力を仰ぎました」(政治担当記者)
そして、野田氏は代表選後、小沢氏を総合選挙対策本部のナンバー2、本部長代行に起用する方向で最終調整しているとFNNプライムオンラインが報じている。
これまで剛腕ぶりを発揮し、1993年の非自民8党会派による細川護煕連立政権、2009年の民主党・鳩山由紀夫政権誕生に大きな役割を果たした小沢氏だが、82歳になり、周囲は「これが最後の戦い」とみる。
小沢氏は、最後の戦いにどのように臨むのか。大学時代から小沢邸の「住み込み書生」となり、以来、10年にわたり秘書を務めた石川知裕元衆院議員に聞いた。
「次の総選挙では、どの野党も単独過半数を取ることは難しいと思います。そのため、小沢先生は、どの党と組むかはわかりませんが、1993年の細川連立政権型の政権交代を目指しているのではないでしょうか。今、その気運は最高だと思われているはずです。自民党を倒すためなら、共産党と手を組むことだってあるかもしれません」
小沢氏の戦略についてこう語った石川氏だが、現状、各党の考え方には隔たりがある。
「そこは大丈夫でしょう。2003年に民主党と自由党が合併しましたが、そのとき自由党という “右” にいた小沢先生は、『まずは主義主張が一番遠いところにいる政治家と組む』と言って、民主党のもっとも “左” にいた横路孝弘先生と安全保障について話し合い、合意にこぎつけました」
小沢氏は、選対本部のナンバー2になると言われるが、選挙戦術はネット世代の若手に浸透するだろうか。
「小沢先生は、まだそれほどインターネットが普及していない1998年にホームページを立ち上げていました。じつは新しいものをどんどん取り入れているんです(笑)。
とは言っても、選挙の基本は『人と会うこと』です。小さな地域をまわり、少数の意見をしっかり聞く。こうした活動が大切なことは今も昔も変わりません。若い政治家には、『もっと足をつかえ』と言うでしょう」
小沢氏は「誤解されることが多い」と言われる。
「確かにそうです。『作戦を明らかにすると、物事はうまく運ばない』という考えなので、側近にも細かく説明をしてくれません。そのため誤解が生じてしまうことがあります。私も何度、思い悩んだことか(笑)」
石川氏は「今回も『秘策』を持っていると思いますが、それが何かは私にもわかりません」と笑う。
小沢氏の、乾坤一擲の戦いが始まる――。
( SmartFLASH )