「小沢一郎」が語る“細川連立政権”秘話 「自民党を否定しているんじゃない。一度、地に落ちて引き締め直せばいいんだ」(デイリー新潮 2023年06月23日)
永田町で一時「解散」の機運が高まったものの、岸田文雄総理は6月15日に“先送り”を明言した。だが、いま実際に解散総選挙が行われたとして、どれほどの国民が「政権交代」という言葉を頭に思い浮かべるだろう。1993年6月に自民党を離党して新生党を立ち上げ、8党派連立政権の立役者となった小沢一郎衆院議員は、いま何を思うのか。ジャーナリスト・鈴木哲夫氏がその胸中に迫った。前後編のうち「後編」。
連立政権は「ガラス細工」
――小沢さんが飛び出して、そして、新生党を作って政権交代を果たすまでの道のりのなかで、どんな苦労があったか。
小沢:あの時は、もう飛び出してまっすぐ全力で突撃だからね。新生党で選挙。それで、実は、幹事長を辞めたあと心筋梗塞やったんだよね。何とか治ったんだけど、あんまり過労が重なるとまずいんで、自分の事務所の床に布団を敷いて、一日に1、2時間は横になっていた。みんな知らないけどね。それで休んじゃ、また選挙。
――選挙のあと自民党を過半数割れに追い込み、野党の連立8会派で政権交代へ。それもまた大変だったのでは。
小沢:そうそう。ほんとガラス細工だからね。ガラスの積み木みたいなもんだから。選挙終わってすぐ社会党がもうがっくり来ちゃってたんだよ。社会党は激減した。70ぐらい減らしたかな。これでもう連立政権はダメだってなっちゃったわけだ。でも、委員長の山花貞夫さんと連合の山岸章さんとも話をして、「何言ってんだ。全部足してみろ。野党の方が多いじゃないか。私がまとめる」って言って、了解取って。そのあと、一番の直感は間違いなかった。総理は日本新党の細川護熙。みんなは羽田だって言うんだよ。でも、私は羽田じゃまとまらないと思って自分に任せてくれって言って。
――直感?
小沢:直感って言ったって、根拠のない直感じゃないよ。根拠はね、細川さんはさきがけの武村正義さんと仲がいいわけだよ。で、武村さんは自民党と連立を組みたいという話があって、自民党も過半数ないから数の上からいっても組みたいと思うはず。だから、先手を打って細川さんに会って「総理に」と単刀直入に言ったら、分かりましたと。実は、自民党も日本新党やさきがけとの連立を考えていたらしく、細川さんに接触しようとしたんだけど、すでにとき遅しだった。その後、細川さんが武村さんと会って、「連立政権側の総理に決めた」と言ったら、武村さんはもうびっくりしたらしい。自民党とやりたかったから。だけど、細川さんが決めた以上しょうがないという感じでついてきた。それで野党8会派で過半数になった。
――細川さんもよく決断しましたね。
小沢:自民党との連立なら、せいぜい大臣。でも、こっちは総理大臣だもの。絶対受けると思ってた。
二度続いた“不測の事態”
――政権交代が実現したがそのあとは?
小沢:細川体制でまずしばらくやろうと思ったけど、全然予期せぬ出来事が、その細川さん自身になっちゃった。NTTと佐川急便問題。何の問題もないんだよ、法律的には。でも、辞めちゃった。相談はなかった。多分、すぐに辞めればまた自分に回ってくると思ったのかもしれないな。うまく去れば。
――そして羽田さんに代わった。
小沢:そうしたら、今度はもう社会党の裏切り。社会党が自民党と話をしているっていう噂は小耳に挟んでたんだけどまさかと思ったよね。そもそも社会党は連立8会派のなかで、自分たちに天下をくれって言ってたんだよ。俺たちは議員数が一番多い、新生党よりも多いじゃないかと。80人はいるから。新生党は60人ぐらいだったからね。そうしたら、社会党の策士の野坂浩賢が自民党の野中広務、亀井静香、森喜朗なんかと話をして関係を作っていた。羽田内閣の不信任が通った時なんだけど、社会党の連中が羽田に「一旦退任しろ。そしたら、次の首班指名でまた君を推す」と言ったらしい。で、羽田は解散しなかった。不信任で追い込んだ総理を、また指名で推すなんてことはあり得ないのに羽田は総辞職した。解散するしかなかったのに。なんで判断出できなかったのか。あれがすべてだった。不測の事態が細川、羽田と二度続いて、そして自社さ政権にしてやられた。
政権交代の一点で合意できればいい
――政権交代を考えるときに、2009年の民主党の政権交代をイメージして、野党の大きな政党がなきゃできないとか理念が大事とか言う声もあります。ただ僕は、93年の政権交代を思い出すべきだと。あの時は8会派もあって、政策が全部一緒なんていうことはあり得ない。でも、ただ一点あったのは政権交代。一回、自民党にお灸を据えなきゃダメだと。これをやったら自民党も引き締まるし、それなら野党も再編しようかと……。
小沢:マスコミ、評論家、政治家などの多くが、政策が違うのにおかしいじゃないかとすごい言うんだよね。それで私は言うの。それは自民党政権を変えようと、今の変な政治をやめようという一点さえ合意すりゃいいと。ドイツを見ろ、と。緑の党と社民党とか一緒になって政権作ってるじゃないか。彼らは全部政策違うよと。それでも政権を倒すために手を握ったんだ。我々と、維新と、玉木(雄一郎)君の国民民主とかね。考えてみてよ、ドイツほどの違いはないよ。一緒にやるのは合理的だよ。既存の利権構造が変わるんだと。あちこちに巣食っている腐敗の利権の構造が、政権が変わったことによって雲散霧消してなくなると。そして、新しい政権がまた長く続きゃ、それはまたそういう構造ができてくる。だから時々変えなきゃということになる。それが政権交代であり、民主主義。合理的なそういう考えっていうのは日本人には通用しないんだよなぁ。
――しかし小沢さん、諦めてないでしょ。
小沢:二大政党じゃなくたっていい。二つの政治勢力でいい。それを交互に政権交代させる。時に応じて。政権交代のない国は民主主義じゃない。民主主義って政権交代があるから民主主義なんだ。だから私は二度、自民党を倒したけど、もう一回やるって言ってる。絶対生きてるうちに必ずやってみせると。
選挙の票は“単純加算”では分からない
――立憲はもちろん、野党全体にそういう空気がまだ醸成されていない。
小沢:現状で満足するという日本人的な考え方。万年野党のゆでガエルさんだと、もうジリ貧で立憲だってどうなるか。維新だって一党では政権取れないよ。今はもう、強気でやっていいけど、最終的に選挙の時は小が大を呑む気持ちで立憲を包み込まないと、自民党には勝てない。だから、少なくとも維新と立憲のリーダーが志を持って見識ある行動を取れば次の選挙は政権交代できる。
――僕の取材では、小沢さんが立憲や維新の議員とそういった話をしていると聞いている。
小沢:選挙ではみんな単純加算だけで終わっちゃう。選挙の票は、維新いくつ、立憲いくつ、それをプラスするとこうだと。だからいい線行くとか行かないとか。ところが、そうじゃない。これが協調することによって、国民の間に政権交代の期待感が出てくる。そうすると投票率が増える。投票率の増えた分はほとんどが政権交代への期待票になる。2009年が証明してる。
――1足す1は2ではなく、維新と立憲が組んだら1足す1が200とか300になる。
小沢:そうそう。野党候補を一本化すれば300議席以上取れるよ。それを何度も何度も言ってる。うちの執行部なんて150人しか候補者立てないと言った。維新は元気いいから、全選挙区立てると。いまはうちもそう言ってなきゃいけない。それで最後に調整すりゃいいわけだ。もうほんとに……。
「一度古いものを潰さなきゃいかん」
――岸田政権へ国民の支持は決して高くない。野党が一つになればチャンス。
小沢:もう一回、野党が天下をとって。そうすると自民党が崩壊する。でも私は、自民党を否定してるんじゃないんだよ。一旦壊れることで、自民党的、すなわち日本的な政党が、もう一度、引き締め直して立ち上がればいいんだ。一度古いものを潰さなきゃいかん。そうすると壊し屋、壊し屋って言われるけど、古い家を壊さなきゃ新しい家が建たないでしょ。そこがまた日本的なとこなんだよ、壊し屋、壊し屋って。じゃあ何百年も同じ家に住んでろって。
――小沢さん、民主党が政権交代した直後に、僕の番組で「自民党に頑張ってほしい」と言って驚いた。つまり、政権交代ってそういう意味なんだと。だから、民主党はもちろん頑張るけど、一回地に落ちた自民党がしっかり引き締めて再生し、政権交代を争う。それが夢なんだって。
小沢:だから、一度、自民党を潰したら、また自民党に戻んなきゃいけないかなとか思ってる。立て直しのためにね(笑)。あれから30年か。自分じゃ全然年取った気はしないんだけどね。でも、でこぼこ道は苦手。危なくてね(笑)。
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鈴木哲夫(すずき・てつお)
1958年生まれ。早稲田大学法学部卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、BS11報道局長などを経て2013年からフリー。永田町取材30年のほか防災もライフワーク。著書に「最後の小沢一郎」(オークラ出版)、「期限切れのおにぎり~東日本大震災の真実」(近代消防社)など多数。
デイリー新潮編集部