「国葬ここが問題」識者らの見解ハイライト(毎日新聞 2022/9/27 09:30 最終更新 9/27 11:09)
安倍晋三元首相の国葬を巡り、これまでに毎日新聞のウェブサイトに掲載した識者らの見解を紹介する。まずは国葬・国民葬・合同葬の違いを振り返り、問題点をハイライトで伝える。(各談話の詳細は関連記事にあります)
国葬・国民葬・合同葬 なにが違う
2019年11月に死去した中曽根康弘元首相の場合は、20年10月に「内閣・自民党合同葬」が行われました。名称に「内閣」が入っていることで分かるとおり、政府と自民党の共催で、費用の一部を国費で負担しました。
1975年6月に死去した佐藤栄作氏は「国民葬」でした。これは主催者に内閣と自民党のほかに、「国民有志」が入ったためですが、やはり費用の一部を国費で負担しています。
67年の吉田茂氏の国葬は政府が主催し、費用は全額国費でした。今回の安倍氏の国葬についても、岸田文雄首相は国の全額負担になるとしています。
戦前には「国葬令」がありましたが、廃止されました。吉田氏の際も今回の安倍氏の際も閣議決定によって実施されます。国葬とするかしないかを決める明確な基準はありません。
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白井聡・京都精華大学准教授 「騒ぎにまぎれ、疑念にふた」
国葬の法的根拠の問題や違憲の疑いもさることながら、このイベントの政治的作用、したがって政権のもくろみはあまりにゆがんでおり、また見え透いている。
それは、自民党が反社会的行動により大量の被害者を生み出しているカルト団体の庇護者であったのではないか、といういま多くの国民が抱いている疑念に蓋をすることにほかなるまい。
国葬の大騒ぎにまぎれさせて、自民党と統一教会との関係の問題、そして安倍氏の政治家・首相としてなしたことが国家的顕彰に値するのかという問題をすべて水に流してしまえ、という岸田政権の姿勢は、どれほど非難しても非難し足りない。
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宮間純一・中央大学文学部教授 「法整備なく、民主主義に反する」
岸田首相は国葬を行う主体を明言していませんが、民主主義社会ではその主体は国民であるべきです。ならば、国民の代表がいる国会で議論しないといけない。
国葬の是非や、対象者の選定基準、国民に何を求めるのかを明確にし、現代にふさわしい国葬の在り方を定める必要があります。その上で、安倍氏が国葬に相当するかを検討すべきです。
今回、閣議決定によって、そうしたプロセスを省いたこと自体が民主主義に反しています。
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古賀伸明・元連合会長 「安倍氏の評価定まっていない」
岸田首相は今回、国葬とする理由について、安倍氏が①憲政史上最長の8年8カ月にわたり首相を務めた②外交で高い評価をうけ、海外要人の多くの来日も想定される③民主主義の基盤である選挙中に銃撃を受けた経緯――を挙げた。
在任期間は憲政史上最長となったが、退陣から2年弱で、現役の政治家だった安倍氏の歴史的評価は定まっていない。死を悼むことと、政権時の評価は当然区別しなければならない。業績には賛否両論があり、政権運営への評価は分かれているのも事実だ。もう少し時間をかけて冷静に検証されるべきだ。
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曽我部真裕・京都大学大学院法学研究科教授 「何をしたかが重要」
国葬の根拠法は必須ではないが、何らかのルールがあることが望ましいのは間違いない。基準を設けても「国民のために顕著な功績があった」といった明確でないものにならざるを得ず、機能しないだろう。むしろ、国民のコンセンサスを担保するプロセスを定めるルールが重要だと考える。
政府は国葬を決めた理由として、安倍氏の憲政史上最長の在任期間を挙げている。しかし、在任期間が長いこと自体に意味はない。岸田氏は「民主主義の根幹たる国政選挙を6回にわたって勝ち抜いた」と述べたが、選挙で信任を得ることが重要なのではなく、信任を得て何をしたかが重要だ。
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杉田敦・法政大学教授 「国会で審議すべきだった」
安倍氏の国葬は、死去してから2カ月以上たって実施される。時間があったのになぜ慎重に国会で審議をしなかったのか、多くの人が疑問を抱いている。
政府は、内閣に行政権があり、国葬は閣議決定で実施できると主張する。しかし、国政の重要事項に関しては国権の最高機関である国会で審議するのが基本だ。現在の憲法の構造は、重要事項は国会で審議するのが適切だというものだ。今回、国会で審議できないほどの緊急性があったとは思えない。
国葬には多くの費用がかかるため、財政民主主義の観点からも国会で審議すべきだった。国葬の費用は予備費から拠出するが、近年、予備費が非常に増えている。後に国会で承認を求めるとはいえ、行政府の裁量で使える予備費を増やすと財政民主主義が形骸化してしまう。そうしたことが進む中で今回のようなことが起きたため、多くの国民は国会軽視も甚だしいと考えているのではないか。