ついに五輪スポンサー、朝日新聞が社説で、五輪中止の決断を首相に求める

五輪中止を主張し始めた新聞各社 社会

オリンピック開催まで2か月を切った。ここに来て新聞各社の論調がやっと変わってきた。

(社説)中止も選択肢に議論を 高知新聞 5月12日

【東京五輪・パラ】中止も選択肢に議論を(高知新聞 社説 2021.05.12 08:00)より

新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、五輪への逆風は強まっている。

五輪開催に向けて、最も問題視されているのが医療体制への影響である。組織委が日本看護協会に看護師500人の確保を依頼したことなどは、「五輪は特別扱いか」と強い批判にさらされた。

菅首相が「対策の決め手」としてきたワクチン接種が遅れていることも足かせになっている。変異株に対応した対策強化も発表されたが、海外から選手や大会関係者を受け入れることへの懸念は根強い。

国会で菅首相は五輪中止を求める野党質問に対して、「国民の生活と健康を守り、安全・安心な大会が実現できるように全力を尽くすことが私の責務だ」と、決まり文句の答弁を連発した。

意欲を見せるだけで、丁寧に説明する姿勢を欠いたままでは、国民の不安を解消することはできまい。

7月23日の五輪開幕まで残された時間は少ない。国民が「強行」と感じてしまうような東京五輪・パラリンピックになってはならない。

中止の選択肢も含めて、五輪開催の是非を議論すべき時である。

(社説)五輪への逆風/安全な大会の姿見えない 神戸新聞 5月17日

五輪への逆風/安全な大会の姿見えない(神戸新聞 社説 2021/05/17)より

新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が延長され、東京五輪・パラリンピックへの逆風は強まるばかりだ。

特に気がかりなのが逼迫する医療への影響だ。国内では病床不足で十分な治療を受けられず亡くなる人が相次ぐ。大会には計数千人の医療スタッフが必要で、感染した選手らに対応する大会指定病院も30か所を想定する。コロナ禍で疲弊した医療にしわ寄せがいくのは避けられない。

大会の開催によってウイルスが海外から流入し、それを世界に拡散する可能性があると専門家が指摘している点も懸念材料だ。新たな変異株を生む恐れさえある。

五輪の参加選手は約1万1千人、パラリンピックは約4400人を見込み、関係者を含めれば10万人程度となる。短期間に各国からこれだけの人が集結する大会を安全に実施するのは至難の業である。

こうした対応が国民に不安を抱かせているにもかかわらず、菅義偉首相は「安心、安全な大会の実現に全力を尽くす」と繰り返すばかりだ。私たちが今知りたいのは、実現できるという根拠と具体策である。

首相は選手団へのワクチン無償提供が安心につながると述べるが、国民へのワクチン接種が遅れる中、選手優遇とも取れる発言には否定的な声もある。人々の融和を目指すべき五輪が逆に亀裂を生むようでは開催趣旨にもとる。

残された時間は少ない。首相は開催の可否についての判断基準も明確に示すべきだ。「開催ありき」でなく、中止を含めた議論もちゅうちょしてはならない。

(社説)東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ 信濃毎日新聞 5月23日

〈社説〉東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ(信濃毎日新聞 社説 2021/05/23 09:18)より

不安と緊張が覆う祭典を、ことほぐ気にはなれない。

新型コロナウイルスの変異株が広がる。緊急事態宣言は10都道府県に、まん延防止等重点措置も8県に発令されている。

病床が不足し、適切な治療を受けられずに亡くなる人が後を絶たない。医療従事者に過重な負担がかかり、経済的に追い詰められて自ら命を絶つ人がいる。

7月23日の五輪開幕までに、感染状況が落ち着いたとしても、持てる資源は次の波への備えに充てなければならない。

東京五輪・パラリンピックの両大会は中止すべきだ。

菅義偉政権は地域医療への影響を否定するけれど、医療従事者を集められるなら、不足する地域に派遣すべきではないのか。検査も満足に受けられない国民が「五輪選手は特権階級なのか」と、憤るのも無理はない。

コンパクト五輪、復興五輪、完全な形での開催、人類が新型コロナに打ち勝った証し…。安倍晋三前首相と菅首相らが強調してきたフレーズは、いずれもかけ声倒れに終わっている。

感染力の強いインド変異株がアジアで猛威をふるい始めている。コロナ対応を最優先し、出口戦略を描くこと。国民の命と暮らしを守る決断が、日本政府に求められる。

(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める 朝日新聞 5月26日

(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める(朝日新聞 社説 2021年5月26日 5時00分)より

新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。

この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。

冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。

選手をはじめ、五輪を目標に努力し、様々な準備をしてきた多くの人を考えれば、中止はむろん避けたい。だが何より大切なのは、市民の生命であり、日々のくらしを支え、成り立たせる基盤を維持することだ。五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない。

選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない。

五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう。

ところが現状はどうか。

コロナ禍で、競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ、それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され、事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した、各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。

誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、「コロナに打ち勝った証し」も消えた今、五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる。

そもそも五輪とは何か。社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない。

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